娘は発達障害のグレーゾーン。3歳の頃は癇癪も多く、日々の生活もままなりませんでした。そんな娘を連れて、遠方の義実家へ帰省することに。しかし、あまりにも非協力的な義両親に辟易し、予定を早めて帰ることになったお話です。
3歳の娘は発達障害グレーゾーン
発達障害グレーゾーンの娘は、落ち着きがなくじっとしているのが苦手。食事の時も座っていられないし、夜もなかなか寝てくれません。
少し注意すると癇癪を起こし泣き続けるので、その度に落ち着かせるのが本当に大変でした。ずっとそんな感じなので、家事をするにも一苦労の毎日です。
そんななか、お盆休みの1週間は義実家へ帰省することになりました。義実家への帰省は、娘が1歳の時以来です。あまり会えなくても、頻繁に連絡を取り合う良好な関係でした。
しかし義実家は、新幹線で4時間かかる遠方。なんでも気になる娘を連れての新幹線の旅は、乗り込むだけでも大変です。
新幹線に乗ってからも、まわりの人に話しかけたり、探検へ行こうとしたりと落ち着いてくれない娘。動画やお菓子でなだめながら、やっとのことで義実家へ到着です。
「炊事は女の仕事だから」義父のまさかの一言
「着いたら優しい義両親の助けで少し楽になる…」そんな私の期待は見事に裏切られることに。
久々に会った義両親は、孫に全く興味がないようなのです 。娘が
「じいじ、あのね!」と話しかけても、軽くあしらうだけ… これには私も夫もびっくり! 娘とは頻繁にテレビ電話もしていたし、興味ないはずはないと思うのですが、どうしたのでしょうか…。
しかも、義実家は全然片付いておらず、刃物や薬が置いたまま。退屈な娘は
「これなぁに?」と危険なものも触るので、私は娘を追いかけて大忙し。
それを傍観していた義父は、素知らぬ顔で衝撃の一言を発します。
「炊事は女の仕事だから」と、私に食事を作るよう指示してきたのです!
今まで一度も頼まれたことないのに、なぜ? なぜ娘から目を離せない今なの!? と大混乱。
義母も
「お父さんがそう言ってるからねぇ…」と、口が達者な義父に意見できないようで頼りになりません。
豹変した義両親にびっくり!
「わ、わかりました…」思うところあれど、1週間もお世話になるし、と断れない私。以前の帰省では簡単なお手伝いのみだったので、キッチンの勝手もわからず、娘をなだめつつの料理は難航。
娘は、誰も構ってくれず
「いっしょに遊ぼうよ~!」と大泣き。義両親はそれを見ても
「騒がしいな~」と嫌な顔をするだけで、どうしても構いたくない様子です。夫が見かねて手伝ってくれましたが、料理中くらいは義両親も娘の相手をしてくれてもいいのに… とモヤモヤ。
義両親の豹変ぶりに納得できず、夫にこっそり
「私、何か機嫌を損ねることしたかな?」と聞くも、夫もさっぱりわからない様子。
義父は、以前も気まぐれで夫に料理をさせたり、突然機嫌を損ねたりしたので、気分の問題だったのかもしれません。
その後は娘の寝かしつけに2時間半もかかり、ぐったり。まだ帰省初日です…。
3日頑張ったが、予定を早めて帰宅
次の日には義両親の態度が戻っていれば、と期待しましたが、やはり変わらず。毎日3食私と夫が作り、慣れない家で娘を追いかけ、我関せずの義両親…。そんな最悪の帰省3日目の夜、私はついに限界を迎えました。
泣きながら
「予定を早めて家に帰ろう」と夫に言うと、夫も義両親の態度に困惑しており
「食事の用意までさせられるし、娘も退屈そうだし帰ろうか」と同意してくれました。
そうと決まれば、早速オンラインで新幹線のチケットを予約! 陽が昇ったら朝ご飯も早々に、すぐ義実家を発ちました。突然のことに義両親はビックリしていましたが、構うもんか!
帰りの新幹線でぐったりしながら「娘がもう少し大きくなってから行くべきだったな…」と後悔。義両親も、娘が赤ちゃんの頃とは別人のように騒がしかったので、面食らったのかもしれないし、私のしつけが悪いと腹を立てたのかもしれません。
いずれにしても、苦い思い出となってしまいました。
その後、義両親は嘘のように態度が戻り、娘も今ではすっかり落ち着きました。あれ以来義実家には行っていませんが、そろそろリベンジの時期かもしれません!
(ファンファン福岡公式ライター/トミオカクマコ)