一月は行く、二月は逃げる、三月は去る… とはよく言ったもので、年があらたまって、日が経つのが2、3倍速くなったように感じる。 もうすぐ春分というのにまだ肌を刺すような北風が吹きつけるなか、私は舞鶴にある取引先に書類を届け、ちょっと早めのランチ、それも、心と体が芯から温まるやつにありつきたい一心で、赤坂方面に向かって適当なお店を探しながら歩いていた。
赤坂門の交差点から一本入った裏道。その一角に立つマンションの1階に見覚えのある店構えが。まだ早い時間だからだろうか、シャッターが下りているが間違いなくあのお店だ、そう思いながら私の足は磁石に吸い付けられるようにそのお店の方に向かっていた。
あれは昨年の8月。 暑気払いと銘打って、月に一度の美食の友“N氏”が案内してくれたお店。それがこの寿司処だった。
涼しげな麻の暖簾をくぐって格子の引き戸を開ける。まず目に入るのは光り輝くカウンターとネタケース。一枚板のカウンターは奥で直角に曲がっており、正面7席プラス奥2席。合わせて9脚の椅子が並んでいる。 板場には白衣姿の職人さんが一人。真剣な眼差しでまな板に向かっている。 先に到着していたN氏は、この店の大将であろう、その職人さんの手元に目をやりながら、傍らに立つ女将さんと思わしき女性と親しげに会話を交わしていた。店構えからは高級感や格式の高さが存分に感じられるのに、そこに流れる何ともアットホームな雰囲気。 N氏から大将と女将さんを紹介され、その優しい笑顔に迎えられながら、カウンターに腰を落ち着ける。 まずはビールを注文。瓶から小振りで上品なグラスに注がれたビールのきらめき…。カチンと杯を合わせて、一気に三分の二ほど飲み上げると、思わず安堵と幸福のため息がもれる。
突き出しは鮑(あわび)と雲丹(うに)。小皿に少しずつ盛られているのにこの存在感は何だろう。 甘みとコクがありながら後味がさっぱりしている。鮑は淡白な旨味と歯ざわりがたまらない。濃厚な潮の香がビールの泡と一緒に喉の奥に落ちていく。最初の一品から最高の気分。
続いて栄螺(さざえ)の壺焼きと思いきや、中に入っているのは鮑。 突き出しにはアワビの真ん中付近の柔らかい部分を、壺焼きにはへりの固い部分を使いました、と大将が教えてくれる。卵白で固められた塩の上に殻がのっていて、見た目も素敵。 香ばしさと磯の香りが何とも言えず、ビールの肴に最高。
続いて、お造り三種が手際よくつけ台の上にのせられる。鯵、鯛、平目。照明があたってキラキラと輝いている。よく見ると鯵には細かく刻んだネギと生姜がまぶされていて、その丁寧な仕事に感動。
お造りに合わせるのはもちろん日本酒。 おしゃれな形をした金属製の徳利に入って冷酒が登場。 「錫缶(すずかん)」といって伝統的な酒器の一つ。錫は熱伝導性が高いため、錫缶自体が中に入れた酒の温度に瞬時に反応。しかも保温性に優れているので熱燗は熱いまま、冷酒は冷たいままで温度が保たれる。酒器としては最適の素材… おなじみの解説に耳を傾けながら、N氏の“持ち込み”だという熊本の純米吟醸をひと口すする。フルーティな香りのあとにどっしりした米の甘みと旨味が口の中に広がり、後味すっきり。お造りの淡白かつ濃厚な味わいをしっかりと受け止める。
焼物は烏賊(いか)と鰯(いわし)。烏賊には飾り包丁が入っていて、大根おろしの上にはミョウガが添えられている。器も盛り付けも美しい。 まずは鰯に箸を伸ばす。パリッと焼けた皮の中から青魚ならではの風味豊かな脂がジュワッと口の中に広がる。すかさず冷酒を注ぎ込み、その脂と一緒に喉の奥へと流し込む。言葉にならない幸福感…。 焼物の皿が下げられるや、醤油皿が取り替えられる。 「それでは、握っていきましょうか…」 大将が手元にある桶のふたをおもむろに開け、左手でつかみ取ったシャリと右手でつまみ上げたネタを両手で包み込む。ピアニストが鍵盤の上をなでるように指がしなり、細かく動きながら寿司を形づくっていく。胸が高鳴り、自分でも心臓の鼓動が聞こえそうなくらい。
つけ台のうえにすっと置かれた一貫目は鯛。 ひんやりした鯛の身とほんのり温かいシャリが混然一体になって喉の奥へ滑り落ちていく。舌の上には白身の淡白な味わいとシャリのほんのり甘い酢の余韻が残る。
二貫目は波の形に飾り包丁が入った烏賊の上に雲丹がのっている。 塩を振っていますからそのままでどうぞ、と大将の声が添えられる。 口の中で雲丹がとろけ、烏賊の甘みと混然一体となる。塩とスダチがその甘さをいっそう引き立て、爽やかな後味が残る。
そして小肌。これぞ“光物”。照明を受けてキラキラと輝いている。 つややかな皮は舌に吸いつくよう。歯をあてると酢の風味と脂ののった身の旨味が口の中に広がる。酢と塩の加減がまさに絶妙。これぞ職人技の極みだ。
続いて登場したのは表面を炙った鮪(まぐろ)の大トロ。厚めに切られたネタも口の中に入れた瞬間にサラリと溶けてしまう。酢飯との相性も抜群。 この土地ならではの気候・風土と山海の恵みを活かして日本人が生み出した世界に誇れる宝。それが“和食”。その中でも寿司は別格中の別格。目の前にいる他人が素手で握った生の魚を、そのまま手づかみで口に入れる…という食べ方。それが、清潔感溢れる店のたたずまいと山葵(わさび)、お茶、生姜、酢といった殺菌作用の高い食材を効果的に合わせることで、実に自然な形で一つの料理として完成されている。これほど洗練さ れた料理は世界中どこを探してもあり得ない… 目の前に繰り出される極上の寿司の数々に、N氏の解説にもひときわ熱がこもる。
そこに、美しい器が登場。上にはカボスがのっている。
ふたを開けてみると、中身は鯛の蒸し吸い物。春菊の香りが鼻をくすぐる。 スープをひと口すすると、優しい味わいがお腹にじんわりと染み入ってくる。 カウンターには、私たちの他に年配のご夫婦が二組。女将さんが自然なタイミングでそれぞれのご夫婦の傍に立って、お客さんの話に楽しそうに相槌を打っている。カウンターの中では、寡黙な大将が三組の料理を同時進行で次々と仕上げていく。大将と女将さんのこの絶妙なコンビネーションこそが、まさにこのお店の歴史と魅力を物語っている。
鮪の赤身のヅケ。ねっとりとした食感。醤油に漬けることで水分が抜け、味が濃厚になっている。 さっき口に入れた大トロと同じ魚だとは全く思えない、対極的な食感と味わい。これが鮪という魚の魅力なんだ、とあらためて思う。
つづいて天然の車海老。色も形も素晴らしい。口に入れるとしっかりとした食感があり、噛むほどに海老の甘みがにじみ出てくる。 「にぎりの一つ一つが大きすぎず小さすぎず、絶妙な大きさ…」 誰に言うともなくそうつぶやくと、黙ってまな板に向かっていた大将が一言。 「うちは、お客様の口の大きさに合わせて握ってますから」 !!! まさに神業。とはいえ、口に入れた瞬間に味を感じるのだから、にぎりの大きさというのは美味しさの必須条件かもしれない。料理人の思いと技術が高いレベルで合わさった瞬間、本当に感動的な食が生まれるのだと実感する。
鉄火巻。それも芯にトロと赤身が両方入っている「トロ鉄火」。 赤身のキリッとした味をトロの脂が優しく包み込む。そして最後に口の中に残る海苔の風味が最高。
穴子と卵焼き。 卵に白身のすり身を加えてすり鉢であたり、じっくりと焼き上げるという卵焼きは上品で優しい甘さ。まるで上質な和菓子を味わっているよう。 穴子は甘くて香ばしいツメとふっくら炊き上がった身のバランスが最高。口の中でホロホロとほどけ、混然一体となって消えていく。
そして最後に“お口直しにどうぞ”といって、大将が出してくれたのが、鮪のトロと沢庵、高等ネギを組み合わせた「トロタク巻」。 断面が赤、黄、緑の三色で彩られ、目にも鮮やか。一つ摘まんで口に入れると、トロの濃厚な味わい、沢庵の風味と歯ごたえ、高等ネギの香りが三位一体となって、絶妙のハーモニーが口の中に広がる。 最後に、香り豊かなほうじ茶が供され、感動と興奮に包まれた至高のひとときは静かにフィナーレを迎えた…
閉ざされたシャッターの前に立ちすくむ私の視線の先には、一枚の紙が貼られていた。 「●月●日をもちまして、閉店いたしました。長い間、支えて戴きましてありがとうございました。この店での旬の料理、心温まる人の出会と会話はドラマです。お客様との思い出は増幅されこれから後の心の支えと励みになる事と存じます。三十五年間、ご愛顧を頂き改めて御礼申し上げます。店主」 一生忘れることはないであろう、あの素晴らしい寿司の味を思い出しながら、私は閉店を告げる文字を何度も何度も目でなぞっていた。折からの寒風が私の目元を通りすぎ、ひとしずくの涙を遠くの方へと運んでいった。