佐賀市が生産から加工・販売までを一貫して手がける六次産業品を募集し、一定の基準にもとづいた審査を経て、認定される佐賀市『いいモノさがし』。おいしくて、安全、良質な佐賀市の製品が世の中に広まるよう、佐賀市が応援しています。2015年に始まったこの制度も3年たち、現在7社33品が認定されています。
今回はその中から、えがちゃん農園の「はねにんにくオイル」がエントリーする江口浩二さんにインタビューしました。 はねにんにくオイルとは、自社農園で栽培したはねにんにくを使用したガーリックオイル。健康成分として、近年注目されているアホエンを含んでおり、おいしいだけでなく、食べて健康になることをテーマにした商品です。
※「はねにんにく」が誕生するまで ――こちらのえがちゃん農園さんは、佐賀市の認定する『いいモノさがし』に「はねにんにくオイル」がエントリーされています。はねにんにくという名前は初めて耳にしました……。 江口浩二さん(えがちゃん農園ご主人):「は(=葉)ね(=根)にんにく」です。うちが商標登録しています。 ――はねにんにくの特徴は、「沖縄サンゴを使った特殊な水耕栽培で育て、葉と根が出た状態で収穫した、匂いが気になりにくく、美味しいにんにく」というんですね。 江口さん:そうですね。栽培するのに土を使わず、にんにくが持つ力を引き出すために、にんにくにとってストレスのかかる環境を作り出して栽培します。軽石、水素、ミネラル農法である沖縄サンゴを使用したベッドに、にんにくの粒を一片、一片植えて育て、葉と根が発芽した状態で収穫したものを「はねにんにく」と呼んでいます。 最初は、私も「ひげにんにく」を作っていたんですよ。葉と根っこを出すこの形のにんにくを日本で最初に売り出した方がおられて……私がにんにくを作り始めた2010年ごろは、全国で6、7人、栽培している人がいました。そこが軽石での栽培方法だったんです。 いまは全国に広がっていまして、北は北海道の日高町から――ここは町をあげて第三セクターのような形でひげにんにくを栽培していますが、九州では福岡まで、沖縄はちょっと前にひげにんにくの栽培はやめたんですけれども……土地柄、佐賀は平地で暑いでしょう?
――夏が長いですね。 江口さん:当初は「夏はにんにくの出来がいい」という話だったんですが、いざやってみると、夏はできなかったんですよ。種が休眠するので。 ――休眠? にんにくが怠けるんですか? 江口さん:というより、暑さから自力で身を守るんですね。植えても、葉っぱも根っこも出さないという状態が続きました。 江口さんの奥様啓子さん:順調であれば、10日サイクルで収穫できるんです。でも、何も出ないので、こんどは煮えてしまって種がダメになります。 ――暑さで……。 江口さん:1年目から、夏場はその状態が3年ぐらい続きました。どうにかできないだろうかと思って、いろんなことを試してみたんですが、うまくいかない。収穫できない間も種代はかかりますし。 奥様の啓子さん:4ベッド植えると1万6000粒。そのうちのいくつかでも獲れればと祈るような気持ちで植えますよね? まさか全滅はないだろうと思って……それが全滅なんです。
――本来、にんにくはどういう気候を好むんですか? 江口さん:やっぱり冬場がいいですね。元々、光も要らない性質で、ずっと土の中にいるわけですから。5月から8月の夏場をなんとか乗り越えたいと、いろいろ試していくうち、いまのやり方にたどり着くまでに、同じ軽石でも沖縄産の軽石を砕いたり、瓦チップを使ったりしました。 そうすると、最初にひげにんにくの栽培を始められた方に、「その栽培法ではひげにんにくとはいえないから」と言われました。ロイヤリティはないとしても、ひげにんにく、という名前を使いますという契約があるのと、種も液肥もそこからとってという流れがありました。 ――とはいえ、佐賀の気候では、江口さんが編み出された方法でないとにんにくが獲れない……。 江口さん:もうそれならば、自分のとこのにんにくを商標登録して、独自のブランドにしようということで、「はねにんにく」と名前を付けたわけです。 ※農業未経験から栽培を始める ――はねにんにくは生でも通販されていますが、本当にきれいですね。ご主人は、以前からにんにくを作られていたんですか? 江口さん:いやあ、まったく農業経験もないし、身内にもいない。元々は料理人です。 和食を中心とした居酒屋を佐賀でしてたんですが、料理をやめて別のことをちょっとやってるときに、ひげにんにくをやってる社長と知り合ったんです。二人でもつ鍋屋さんに行って、そのときひげにんにくを鍋に入れて食べたら、「これ、おいしいな。匂いもしないし」と。 ――匂いがきつくないのはなぜですか? 江口さん:科学的にはまだ証明されてはいないんですが、うちのはねにんにくを研究所に出したときには、「通常のにんにくより甘みが強い、うまみが強い」という結果が出ていました。 もつ鍋屋に行ったのは八年ぐらい前で、それからはひげにんにくを自分でも取り寄せて、食べていました。
――消費者として? 江口さん:そうですよ(笑)。にんにくをやり出したのはもう少し後です。それまではぜんぜん考えもしなくて。 1年ぐらいたって、ひょんなことから、「にんにくって消費量は韓国の三十分の一。調味料や嗜好品としての需要はあっても、にんにくを食べる文化はないなあ……」と考えて、つい奥さんに「にんにく作ろうか?」って言っちゃったんです。そしたら、なんと答えが、いとも簡単に「いいよ」と。 ――それはすごいなあ……。 江口さん:ほんとなんですよ。二人とも農業のことはまったく知らないし、やるとしたらお金もかかるし、ハウスも作らないといけないので、そこから、にんにく栽培をしてる人のところへ行って、二人でいろんな話を聞き出したんです。 ――飲食店はそのときにおやめになっていたんですか? 江口さん:やめてました。店は46歳でやめました。26歳で自分の店を持ったもんで、「20年したらやめる」とその当時から決めてたんです。本当は40歳でやめようと思ったんですが、そのとき店で働いていた子がまったく料理未経験で入ってきて、5、6年前でものすごく伸びた。仕事が面白くなってきた時期だったんでしょう。「もう少しやりたいです」とその子が言うので、「もう少しがんばろうか」と、でも、46歳になってやめました。 ――お客さんもいらしたでしょうに。 江口さん:そうですねえ。突然やめたもんですごい怒られましたよ(笑)。3日ぐらい前に「あさってやめます」と発表したんです。でも、みんな怒ったけど、このときも奥さんは「三日したらもう止める」と言ったら、「うん、わかった」って。ふつうだったらボロクソ言うでしょうけど、奥さんがそういう反応だったんで、お店はやめて、ほかの事をいろいろやってました。 「にんにくを作ろう」と思い立って、二人で勉強に行って、「わりと簡単かなあ」と思って1月から栽培を始めました。始めてみたら、じゃんじゃんできるんですよ(笑)。「これだったら1年、飯食えるな」と思って続けてたら、4月ごろから怪しくなったんです。5月……6月……梅雨が明ける前ごろから、ばたっと芽が出なくなって休眠状態……
――夏場にそうなるということは、佐賀で作ってみないとわからなかったことなんですね。 江口さん:それと、一番最初はビニールハウスだったんです。いまはガラスのハウスで天井が開くんですが、熱気と湿気がハウス内にこもる。その状態だとにんにくができない。ハウスの横が開いとしても、湿気が上に抜けないとダメなんです。そんな基本的なことすら知らない、それぐらいド素人から始めたということです。 ※「はねにんにく」で世界を元気に! ――お近くに聞ける人は? 江口さん:農家の方でも作る品目が違えば、なかなか……。何より、にんにくを手がけた最初から「生産と販売は車の両輪」ということが、自分の考えとしてあって……販売も自分でやるということで農家さんに協力を求めたこともありました。 しかし、「作るほうはいいものを作るから、売るのはそっちでやって、そういうことはよくわからんから」という声が100パーセントなんですね。それで奥さんと二人で作って、自分たちで売って回るしかないと思いました。
――生産と加工・販売は別の人がするという考え方ですね。佐賀市の『いいモノさがし』は生産者が加工・販売までトータルで携わる製品を認定品のひとつの目安にしています。 江口さん:草野球と同じです。草野球を本格的に勝つためにやってる人と、健康のためにやってる人が同じチームでやる。そうするとやっぱり、ばらばらになるんです。 料理屋をやめた原因もそこにあったと思いますが、私はひとに任せられないんです。「お店とは、人に任せられる人が大きくなっていくんだなあ」と思ったことが店をやっている途中であったんですよ。「一人ではできる限界があるから、お金を払ってでも人を頼んで」という時期は確かにありましたが、ひとに頼むと、どうしてもどこかが落ちるんですよね。 もちろん店をやっている中では見どころのある子たちも出てくるですが、そういう子はやっぱり独立していきますしねえ。なかなか難しいんです。はねにんにくを使った加工品を作るときの考えも、おそらくその辺りの経験からきていると思います。「ならば、もう自分でやる」と。 ――夏場問題はどれぐらいで解決されましたか? 江口さん:2017年、栽培を始めて7年目に突入して、やっと「もう大丈夫かなあ。損しない程度には」と思いました。来年はいけるかなという手ごたえは感じています。 ――独自の方法を見つけられたと? 江口さん:ただ、手間はかかりますけども。なんだかんだ一日中世話していないといけないような(笑)。はねにんにくづくりは、毎年9月から3月、4月ぐらいまではなんの問題もなく、絶好調でいきます。4月、5月、6月のどこで夏用栽培にシフトするか、の見極めがどっちつかずになるとうまくいきません。 ――夏場、なにも取れないと赤字になるんですか? 江口さん:1年目からそれもわかっていました。なんとか経営を安定させるには、と考え続けました。にんにくが健康にいいのはみなわかっている。最初のキャッチコピーを考えたのもそこなんです。「はねにんにくで世界を元気に」。 そのために何ができるかをやってきて、最初に取り組んだのが、にんにく卵黄の製造でした。 (次回に続く) (インタビュー・文 佐賀市シティプロモーション室 樋渡優子)