明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」終了時に多くの方からいただいた「続きが読みたい」の声にお応えした第2シリーズです。
とにかく酒が好きな矢七という男がいた。
あんまり飲むので奥さんもあきれて出ていってしまったが、これ幸いとさらに飲む。
隣村に大事な用事があって出かけるその日も朝から一杯ひっかけてから家を出た。
うららかな春の日差しの中、山の中腹で休んでいるお伊勢参りの男二人組に出逢った。
なんとなく馬が合い、一緒に山道を行くことにした。
しばらく進むと薪を何束も背負った若い女がふらふらと前を歩いていた。
三人が家まで荷物を持ってやろうと申し出ると女は大変喜んだ。
日も傾く頃、満開の桜の森の入口にある一軒屋に着いた。
女の家だった。
「もう暗くなるし今夜は泊まっていってくださいな。たいした物はありませんが、お酒だけは良いものがありますから」と女は誘う。
矢七は何度も通った道なのにこんな家は見たことがないと不審に思いながらも、酒の誘惑には勝てなかった。
お伊勢参りの二人も飲ん兵衛だったので一も二もなく賛成した。
しこたま飲んだお伊勢参り二人は深く眠ってしまった。
矢七はなんとなく胸騒ぎがして眠れなかった。
何度も寝返りを打っていると外から女の声がした。
「おいでおいで」
お伊勢参りはその声に誘われたように起き上がり、目をつむったままふらふらと外へ歩いて行く。
あの女の仕業か…矢七は静かに後を着いて行った。
満開の桜でぼんやりと明るい森の中をしばらく行くと、こんもり盛り上がった塚の前で立ち止まった。
何が起きるのかと見ていると二人は塚の盛り土を掘り始めた。
なんだろうと身を乗りだしたその時、後ろから声がした。
「なぜ効かない?」
女が立っていた。
みるみる角が伸び鬼に変わっていく!
もう駄目だ…そう思ったとき、森が一瞬昼間のように明るくなった。
「害気を攘払(ゆずりはらい)し、四柱神を鎮護し、五神開衢(かいえい)、悪鬼を逐(はら)い…」
光の中に立つ影が呪文を唱えながら格子のように腕を振った。
「ああぁぁ〜」悲鳴を残して女は消えていった。
それと同時に森も元に戻った。
女の消えたあとには櫛が一つ落ちていた。
呆然と立ち尽くしていると四十くらいの大男が近づいて来た。
「儂(わし)はこん村の五郎八っちゅうもんじゃ。恐ろしかったじゃろ? あれは女鬼で、そこにあるのは男鬼を封じた塚じゃ。女鬼は森の反対側に封印しとったんじゃが、こん前の地ぶるい(地震)で女の方の塚が崩れてから森をうろつくようになった。それから何人も旅人が消えたんじゃ。それで偉い陰陽師様を呼んで来たところよ」
「おかげで助かった! しかし儂らが飲まされたんは何じゃ?」
「鬼の言うなりになる酒よ。攫(さら)われた旅人は皆動けんようになるまで塚を掘らされ半死半生で見つかっとる…封印がしてあるんで女鬼は自分で掘れんからな。しかし、あんたはよく言いなりにならんかったな?」
「さて…何も特別なことはしとらんが…」
「神饌(しんせん。神様への捧げもの)のお下がりを食べたりはせなんだか?」
「それは食べなんだが…あ、出がけに酒を飲むときの肴がなかったんで、こっそり塩を一口いただいた」
「それじゃ! そのおかげで鬼の酒が効かんかったんじゃ!」
櫛を拾いながら言った「もっと遠くに新しく女塚を作らんといかんな」という五郎八の言葉に矢七は首を振った。
「男塚に葬ってやったらどうじゃ? 同じ所に眠らせるともう悪さはせんじゃろ」
陰陽師と五郎八は笑って頷いた。
お伊勢参りを村に運ぶと、三人は男塚に戻った。
かなり掘り返されている塚を探ると古い木箱が出てきた。
中には真っ赤な大杯が入っていた。
その横に女鬼の櫛を入れるともう一度塚に埋め、土をかけた。
陰陽師が祝詞を上げると一陣の風が起こり、塚の上に桜吹雪が舞った。
矢七と五郎八は頭を垂れた。
封印の式はつつがなく終わり、矢七は二人に暇(いとま)を告げた。
矢七が家に戻ると驚いたことに奥さんが戻っていた。
「突然見知らぬ夫婦もんがやってきてな、『矢七さんに世話になったもんです。お酒のことはどうか許してやってください』っちゅうて頭を下げるんじゃ。いつまでもそうしとるんで、ああ分かったちゅうたら二人はすぅっと消えてしもうた。こりゃ言うこときかんと大変じゃと思うてな。帰ってきたよ」
矢七は旅先の出来事を話した。
聞き終わった奥さんは無言でどこかへ出かけていった。
また家を出たんじゃ…と矢七がそわそわしていると、酒屋で一番いい酒を買って戻ってきた。
「どうしたんじゃ? こんないい酒?」
「女鬼の話聞いて私も嬉しくなったからさ」
乾杯しようとしたそのとき、矢七の杯にどこから飛んで来たのか桜の花びらが浮かんだ。
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桜の季節になると思い出す祖母から聞いた話である。
チョコ太郎より
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