續・祖母が語った不思議な話:その捌拾壱(81)「河童御殿」

 明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」終了時に多くの方からいただいた「続きが読みたい」の声にお応えした第2シリーズです。

イラスト:チョコ太郎(協力:猫チョコ製作所)

 小学2年生の夏、繁華街の書店で「日本妖怪図鑑」を祖母に買ってもらった。
 家に着くのが待ちきれずに帰りのバスの中で熱心に読んでいると祖母ものぞき込んできた。
 「鬼、幽霊、ろくろ首、鵺に九尾の狐まで…いっぱい載っているね」
 「ここにはカッパの手のしゃしんものってるよ」
 「河童の木乃伊(ミイラ)か…私のお母さんから聞いたことがあるね」
 「わぁ! 話して話して!」
 そう言うと本を閉じた。

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 祖母の母が十歳のとき(明治時代前半)、同い年の友達・千代が長者の家の住み込みでお手伝いに雇われた。
 千代は人の心が読めるのではないかと思うくらい勘が働く子だった。
 雇われた長者の家は古く大きく、「河童御殿」と呼ばれていた。
 なんでも、代々河童の木乃伊を祀っていて、そのおかげで財が集まってくるのだとの噂だった。
 千代が命じられたのは子どもの世話にお使いや掃除といった簡単なものだったが、その中に一つ不思議な仕事があった。
 家の一番奥にある天井も床も襖も真っ黒な大きな部屋に設えられた祭壇に、毎朝水と菓子をあげるというものだった。

 祭壇は一畳くらいの大きさで、周りには四方に柱が立てられしめ縄が張ってあった。
 その中にある台座の上に二尺四方の木箱が置かれていた。
 
 「あの箱はなんですか?」
 千代の質問に案内してくれた年配の女中頭は小声で答えた。
 「この家の守り神・河伯様です。ご主人様から決して中を見てはいけないと厳しく申し渡しがあっていますので、貴女も決してのぞかないように」
 千代は言いつけを守り、毎日水と菓子を供えた。

 ひと月くらい経ち屋敷での生活にも慣れた頃、屋敷の中に一人でいるときに誰かに呼ばれるようになった。
 「千代、千代」と子どもの声で。

 声のする方を見ても誰もいない。
 薄気味が悪かったが、気のせいだと自分に言い聞かせていた。

 そんなことが続いたある日の夕方、買い物から帰って来ると門の前に五つになる屋敷の長男が立っていた。
 「こんなところで何をしているの」という問いには答えず
 「この家はじきに終わる。お前は親の元に帰れ」とうわごとのように言うとふらふらと家の中に入って行った。
 千代はなにかにひどく恐ろしい気がして、翌日屋敷を辞した。
 家の中で呼ぶ声や子どもの異変も告げたが「当家には守り神がおられる」とまともに聞いてはもらえなかった。

 それから数日後、気になった千代は「河童御殿」を見に行った。
 母屋の一部分が黒い布で隠されて、中からは太鼓を打つ音や奇妙な祝詞が聞こえる。
 なにかの儀式が行われているようだった。
 「怖い怖い。ああ怖い」と言う声に振り向くと女中頭が震えていた。

 その晩、寝入りばなに半鐘が鳴り響いた。
 千代が外に出ると夜空の一角が赤い。
 起き出してきた村人について走ると「河童御殿」が紅蓮の炎に包まれていた。
 消防組の必死の火消しも虚しく、みるみる焼け落ちていった。
 奉公人は逃げ出して無事だったが家の者はどこにもいない。

 翌日全員の遺体が焼け跡から見つかった。
 その側に誰だか分からない古い子どもの骨が転がっていた。
 
 「箱の中には子どもが…」
 千代は思わず手を合わせた。

………………………………………………

 「カッパじゃなかったんだ!」
 「昔から座敷童など童の姿をした妖(あやかし)は富をもたらすと伝えられているけど…河童と言いながらこの屋敷では子どもの遺体を使った邪法を行っていたそうだよ…ずっとずっと昔から。その子たちの恨みが業となって積み重なったんだろうって私のお母さんは言っていたよ。あ、もう着いたね」

 バス停からの帰り道、なんとなく怖かったので祖母の手をずっと握っていたのを覚えている。

祖母に買ってもらった妖怪図鑑は今も大切に持っています

チョコ太郎より

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