明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」終了時に多くの方からいただいた「続きが読みたい」の声にお応えした第2シリーズです。
小学三年生の夏、縁側で昼寝をしていたら雨粒が顔を濡らした。
急いで硝子戸を閉め見ていると、あっという間にバケツの底が抜けたような大雨になった。
「こりゃ激しいね。すぐに上がるとは思うけど」
奥から出て来た祖母がつぶやく。
「山手に住んでいる人は怖いだろうね」
「何事もなければいいけれど…」
「そういえば前に大水の話をしてくれたね」
「よく覚えているね」
「うん。夢見の話、おもしろかった」
「じゃあ、別の話をしてあげようかね」
「うん!」
そう答えたとき雷が光った。
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祖母の兄が生まれた年は長雨続きだった。
稲の心配をしていたが、久しぶりに雨が上がったので皆ほっとしていた初秋の夕暮れ。
母が兄にお乳をあげていると表で声がした。
出てみると色黒で小柄な女の人が立っている。
歳の頃二十五、六、この辺で見かけたことのない顔だった。
なにか? と問う母に答えず
「ヤマクズルルアサ。ニゲロ」
「えっ?」
「ヤマクズルルアサ。ニゲロ」
焦った様子で大きく手を広げながら舌足らずな声でそれだけをくり返す。
「山が…くず…崩れる?」
「ヤネウラ…ヤネウラ」
最後にそう言うと女は踵(きびす)を返した。
すぐに追いかけたが外には誰もいなかった。
家に戻ろうとしたとき、見たこともないくらい多くの蟻が神社に続く坂を登って行く。
じっと見ていると「誰が来たのかい?」とおばあさんが出てきた。
蟻の群れを指差しながら見知らぬ女の話したことを告げるとおばあさんの顔色が変わった。
「神社まで逃げるよう皆に言わねば」
二人は山裾の集落に伝えて回った。
「わしの子どもの頃、この辺に鉄砲水が出た。そのとき、あの神社まで逃げんかったもんは皆死んだ」
おばあさんの真剣な顔に皆もただごとではないと感じ、逃げる用意を始めた。
二人も家に戻ると逃げる準備を始めた。
まだ宵の口で女の言った朝までは時間があったため、母はたくさん米を炊きおむすびを作った。
女の話が気になったので夫に屋根裏を見るように言った。
そこには母鼬(イタチ)と子鼬五匹がじっと座っていた。
夫が屋根裏にあった駕籠に赤ん坊鼬を入れ屋根裏から降りると、母鼬も後についてスルスルと降りて来た。
母たちはこれでよしと、家を後にした。
神社の社に皆が集まり夜も更けた頃、ぽつぽつと降り出した雨はみるみる豪雨となり朝まで降り続いた。
「コケコーロー!」
村人が連れて来た鶏が時を告げた瞬間、轟音とともに山が揺れた。
鉄砲水が襲い山は崩れた。
「村はどうなったかなぁ。田んぼは駄目じゃろうなぁ」
「命があっただけありがたいと思わにゃ」
「ほんになぁ。あのままおったら今頃は…」
そう話す村人たちに母はおむすびを配って回った。
鼬にも一つあげようと駕籠を見たがもぬけのから。
どこに行ったんだろうと見回すと境内のご神木の横にあの女が立っていた。
近づこうと下駄を履いたとき、女は深々と頭を下げ木立の中に消えて行った。
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「女の人はイタチのお母さんだったんだ! どうすれば子どもたちが助かるか一生懸命考えたんだね。みんなはそれからどうなったの?」
「家々は流されたけれど皆無事でね。二月後には普通の生活に戻れたよ」
「イタチは?」
「新しく建てた家に住み着いてね。だいぶ鼠を取ってくれたそうだよ」
「良かった!」
気がつくと雨は止み、夏空には虹がかかっていた。
チョコ太郎より
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追伸:以前のお話の中に出てくる人をアルファベットのイニシャルで表記していましたが、雰囲気と合わせるため、徐々に人名(実名・仮名ともに有り)に置き換えています。ご了承ください。