恩返しで始めたヘアピン作り そこから始まった私の委託販売への道

数年前に趣味で始めたつまみ細工。母の誘いでフリーマーケットで販売を体験して販売の難しさに心が折れかけたのですが、そこから販売への強いあこがれを持つようになりました。フリマ体験後、数年かけて委託販売に至った私の体験をご紹介します。

目次

きっかけは忍者村での恩返し

写真AC

 きっかけは旦那の提案で家族で忍者村を訪れたことでした。時代劇のような世界観、
 「またおいででござるよ!」と言ってくれる忍者たち。
 「忍者さんすっごくかっこ良かったね!」と家族で忍者村にハマりました。

 それから何度も訪れるうちに「また次も会えるのを楽しみにしているでござる!」と忍者さんから手紙をもらえるほど仲良くなっていました。

 そんななか、初のイベント「忍者フェスタ」が開かれることを知りました。忍者さんへの日頃のお礼に「フェスタを手伝えないかな?」とつまみ細工のヘアピンを配ること思いついたのです。数カ月をかけて100本を用意し、許可も得てフェスタの来場者の方にプレゼントを配りました。

 「綺麗なピンね。ありがとう!」
 「わしも孫用に1本もらっていいかい? きれいだね~。頑張ってね!」初めてのプレゼントピンは好評で終了。忍者さんの応援のつもりで来たのに私が応援されたようでした。

 その後は忍者村のためプレゼントにピンを作って持っていくようになりました。「他の来場者の方にもこの楽しい気持ちをおすそ分けしたいな! 忍者さんのお役に立てたらいいな」と、単純にファンとしてできることはないかという考えからでした。

 すると何度かお会いした専務の方が受付に出てきて
 「せっかくですから来場者用の飾りピンを作りませんか? 材料費を負担しますよ!」と誘って下さったのです。そこから私は一歩踏み出しました。

フリーマーケットへの誘い、そして挫折

写真AC

 忍者村に毎月50本の飾りピンを送るようになって数カ月後のこと。
 電話で母と趣味の話になった際に
 「3カ月先の話だけど、フリーマーケットがあるのよ。知り合いが出店するんだけど、端っこを借りて販売してみる?」と誘われました。

 ちょうど販売への興味を持ち始めていた頃で本当に嬉しい誘いでした。しかし、フリマサイトで格上の人の作品が並んでいるのをみると自信は持てませんでした。それでも
 「やってみたい! 頼めるかな?」と販売を決意しました。

 販売当日、母の知り合いの方は「今日はよろしくね! このスペースが販売スペースになるけどいい?頑張ってね!」と声をかけてくれました。

 しかし、結果は惨敗。作った作品はほとんどが売れず自信を失う結果になりました。ただ一つ、大振りで少しずつ色の違う白い花を組み合わせた自信作を
 「これは本当に素敵な色合いね!」と購入してくれた方との体験が希望として胸に残りました。

個人販売への模索

 それからは個人販売の道を模索したり、再び自信喪失に陥ったりを繰り返しました。
 「喜んでもらえるのは無料のプレゼント品だからでは? でも販売してみたい! でも…」

 堂々巡りの思考を繰り返す私に変化をもたらしたのは、新型コロナウイルスによる自粛の日々でした。何よりも感染症対策が最優先の日々、私も自粛することを決めました。

しかし、自粛すると決めたのに自分の中に作りたい、忍者村に来場した方に感謝のピンをあげたい気持ちが溢れてくるようになったのです。そして、ワクチンができたタイミングで私はピン作りを再開しました。

チャンスをくれた人々のつながり

写真AC

 ここまで続けたプレゼントピンは5年以上。思い切って忍者村に販売用の区画をいただけないかを打診してみました。すると、
 「実はお客さんから販売用はないの? と聞かれていたんです。ご負担になるかもと思ったんですが、どうですか?」と販売区画を契約できました。

 感謝の気持ちでいっぱいでした。忍者村の皆さんにもお客さんにも「見てもらっていた」と心に染みた体験でした。

 個人で商売するのはお客さんがつくまでが大変と聞いていましたが、自分で体験したことで身に染みました。少しずつ売り上げを伸ばし、今では月に12、3点が売れていくようになりました。ここまでくるのは、決して簡単ではありませんが、人とのつながりが夢の道を作る何よりの材料かもしれません。

(ファンファン福岡公式ライター/musukari)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

著者情報

ファンファン福岡(fanfunfukuoka)は、街ネタやグルメ、コラム、イベント等、地元福岡・博多・天神の情報が満載の街メディア。「福岡の、人が動き、人を動かし、街を動かす」メディアを目指しています。

目次