福岡市公式インスタグラム連動企画「#fukuokapeople」。福岡で魅力的な活動をしているさまざまな方にフォーカスを当て、プロジェクトの内容をはじめ、活動の裏側や熱いメッセージを伺います。今回は、420年以上の歴史を誇る『博多曲物 玉樹(はかたまげもの たまき)』の18代目・柴田玉樹(本名:真理子)さんにインタビュー! 長きにわたり伝統技術を継承しながらも、新たな取り組みにチャレンジする玉樹さんの姿と想いに迫りたいと思います。
曲物の世界における第一人者、18代目・柴田玉樹さんが大切に守り続けていること
「博多曲物(はかたまげもの)」は一般的に“曲げわっぱ”と呼ばれる木製の箱のことで、杉やヒノキの木を薄い板にし、熱湯で煮て柔らかくして曲げ、乾燥させた後に桜の皮で綴じ合わせて作られたもの。この博多曲物の歴史は古く、15代目天皇・応神天皇の胞衣(胎児を包んでいた膜や胎盤)を納める筥(はこ)として作られたことが起源と言われています。曲物は時代の移り変わりとともに茶道具や生活道具へと発達し、現在は弁当箱、おひつ、小物入れとしても親しまれ、福岡県知事指定特産民工芸品にも認定されている福岡の文化に欠かせない商品です。
ちなみに、「日本の曲物文化は博多から広がった」という一説もあるほど博多曲物は全国的に有名ですが、その中でも420年以上途切れることなく伝統技術を継承し続けているのは「博多曲物 柴田」の18代目・柴田玉樹さんだけ。国内の曲物職人からも一目を置かれる存在の玉樹さんは、どのような思いで製作に向き合っているのでしょうか。
柴田玉樹(以下、玉樹):「父親の代に近隣の都市化に配慮し、筥崎宮のお膝元から志免町へと拠点を移しました。家業として大変な時期もありましたが、それでも父は『生きてさえいれば、作ることはできる』と曲物づくりを地道に続けてきました。何においても諦めることは簡単、けれど復活させることは難しい。細々とでもいいから続けること。浮き沈みがあったとしても、一つのことを続けていれば報われることがあると学びましたね。だから私も、その想いを引き継いで日々精進しています」
“石の上にも十年”。女性ならではの苦境が、挑戦し続ける大きな糧となった
先代のお父様の背中を見つめ、幼い頃から一番近くで曲物づくりを学び、工房を支えてきた玉樹さん。1995年、お父様のご急逝の際に家業を継ぐ決心をしたと言います。
玉樹:「今は女性の社会進出や多様化が認められるようになりましたが、私が家業を継ぐと決めた当時は『女性だから』と、なかなか認めてもらえませんでした。特に伝統工芸の世界は男社会が色濃く残っているからでしょうね。技術面や作品のクオリティーではなく、性別で判断されるといった悔しい思いを味わいました。あの頃は父親の姿から学んだ『続けること』を必死に守り、諦めずに努力し続けましたね。10年経ってようやく周りから認めてもらえる機会が増えて、2007年に18代目・柴田玉樹を襲名。女性であるがゆえに“石の上にも十年”だったなと感じます」 性別や年齢を問わず、完成品を見て判断してほしいという願いと、偏見に屈しないひたむきな精神力で、技術を研磨し続けてきた玉樹さん。「悔しさをバネに自分を奮い立たせていました。父と同等に認められるまで止めないぞ!とね(笑)」と懐かしげに語ってくれました。
時代に合わせて曲物の可能性を拡げ、再び脚光を浴びる存在に!
18代目を襲名した当時は茶道具用の曲物づくりに勤しんでいた玉樹さんですが、ライフスタイルの変化を受け、時代に合わせたものづくりにもチャレンジしています。
玉樹:「曲物のCDケースや加熱式タバコのケースなど、現代社会に取り入れやすいアイテムも作りましたね。取引先からのオーダーを待つ受け身の態勢ではなく、商品としていかに売るか、消費者に届けるためにどう流通させるか。その戦略とアクションも大事だと感じています」
2020年にはリブランディングを開始。昔ながらの曲物の特性を活かし、まずは商品のサイズや種類を整理することから始めました。そもそも先人の知恵が生きた民芸品は、形も機能性も理に適ったものばかり。「機能美として十分成立している曲物に今更手を加える必要はない」と、用途を広げるための工夫に専念したと言います。
例えば、弁当箱のサイズの拡充。Instagramを使った情報発信が盛んになり、“今日のお弁当”を紹介する投稿では曲物の弁当箱が注目の的に。玉樹さんの元にもオーダーが相次いでいることから、これまでの大サイズ・中サイズに加え、小サイズと、さらに小ぶりな豆サイズを定番商品に追加。「食べ物が映えて、品が良く、丁寧さが伝わる」と老若男女から人気を集めています。
玉樹:「おひつも下帯がついた3合・5合用などの容量に加え、一人暮らしにもぴったりな2合用・1合用を作り、リクエストを受けておにぎり型も展開しました。また、弁当箱は収納性を考えて型を楕円形に統一し、マトリョーシカのようにサイズ違いを重ねて仕舞えるようにしています」
博多曲物の発祥地・箱崎に戻り、待望のショールームを開設!
2020年から開始した『博多曲物 玉樹』のリブランディング・プロジェクト。1年目はサイズ展開の整理とロゴマークを新設し、2年目となる今年は“モノ”だけでなく“コト”の発信もスタート! その一環として、柴田玉樹の故郷であり博多曲物の発祥の地・箱崎に拠点を移し、7月31日に箱崎商店街にてショールームをオープン!
※ショールーム住所:福岡市東区箱崎3-8-18、週末のみの営業
玉樹:「柴田家が代々仕えていた筥崎宮のお膝元に帰りたいという思いがあったので、この機会にショールームを構えられたことをとても嬉しく思います。創業から長年筥崎宮の飾り職を担わせてもらっているので、再び神社近くに身を置くことができて感慨深いです」
ショールームでは定番の曲物商品の販売はもちろん、不定期でワークショップなどの体験型イベントを開催するとのこと。今後の展開に期待が集まります!
玉樹:「単純に絵付け教室だけ行うのではなく、曲物づくりの職人技を体験しながらオリジナルの弁当箱をつくるワークショップなどを予定しています。コロナ禍が落ち着いた際は、幅広い世代をお迎えして、博多曲物の魅力を積極的に伝えていきたいですね」
新たに見えてきた課題と目標。曲物職人の魅力を後世に伝える
福岡市が認定する「博多マイスター(※)」としても活躍する柴田さん。小学校のゲストティーチャーとなって博多曲物の歴史・文化を伝え手となる傍ら、新たな目標ができたと言います。
※「博多マイスター」とは、ものづくりに関する優れた技能の保持者で、技能継承活動に積極的で、かつその能力を有する技能者。福岡市が認定することで与えられる称号。
玉樹:「後継者を育てることは伝統工芸の職人にとって大きな課題。子供たちの将来の夢や就きたい職業の選択肢に、職人の世界があること知ってもらいたいです。人間はいつか必ず死ぬ生き物。けれど作品は次世代に引き継がれ、ずっと残り続けます。作品を通して“自分が生きた証”が長きにわたり伝わる。そんな商品をつくることができるのは工芸士(職人)の強みですし、仕事としての魅力だと思います」
曲物職人になるためには「家業だから」「男だから」「女だから」といった条件はありません。作りたいという気持ちが大事。そのきっかけを作り、ものづくりの醍醐味を伝えていきたいと玉樹さんは語ります。
玉樹:「これまでは“いいものを作る”ことに全力を注いできましたが、60歳を迎えてからは“どうやって博多曲物を残していくか”を考えるようになりました。ものづくりには苦労がつきものですが、それ以上に楽しさがあります。自分の手で完成させた時の達成感と愛着は格別です。また同じ木材でも木目や色味など一つとして同じものはないので、飽きることなく突き詰めていく奥深さもあります。こうした曲物職人の醍醐味・喜びを、若い人にこれからたくさん伝えていきたいですね!」
新たに開設したショールームでの活動をはじめ、職人として最高の博多曲物を作り続ける玉樹さんの飽くなき挑戦に、今後も注目したいと思います。博多曲物のラインナップや取り入れ方などもInstagramの公式アカウントから知ることができるので、ぜひチェックしてみてくださいね!