私が小さい頃、明治生まれの祖母がちょっと怖くて不思議な話をたくさん聞かせてくれました。少しずつアップしていきます。
小学2年生の秋、祖母と二人で落語を聴きに行った。その中の一つが人を化かす狐が出てくる「王子の狐」だった。
帰りのバスの中で「おばあちゃん、キツネってほんとに人を化かすのかな?」と聞くと
「私のおばあさんから聞いた話にこんなのがあったね」と語りはじめた。
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祖母のおばあさんが子どもの頃、村に一人で暮らしているMというおじいさんがいた。
竹馬を作ってくれたり、甘酒を飲ませてくれたりとても優しくて、子どもたちに好かれていた。
また毎日、村のお地蔵さんや石仏に水をあげ、お稲荷さんには油揚げを供える信心深い人だった。
ある夏の終わり、孫の誕生祝いに隣村の娘夫婦を訪ねたMさんは帰りの山道で誰かがついてくるのに気がついた。
切り株に腰を下ろして待っていると女の子が追いついて来た。
年の頃は六、七歳の可愛らしい子で「この辺の子かや?」と声をかけたがニコニコ笑うばかり。
と、突然Mさんの持っていた祝い料理の折詰を包んだ風呂敷を持って走り出した。
「あれあれ、どこに行くんかい? もう陽が暮れるから村に戻らないかんのやが」
女の子は道を外れ、後を追うMさんをちらちらと振り返りながら走って行き、森の中の一軒家に入っていった。
「すんまっせん。ごめんください」
Mさんが声をかけると中から綺麗な女の人が出てきた。
「娘が大変お世話になりました。さあどうぞ中へ」
「人違いじゃねえかい? 娘さんにゃさっき会うたばかりやけど…」
躊躇(ためら)っているとさっきの女の子が出てきて手をひっぱるので、仕方なく座敷に上がった。
そこには目を見張るほど見事な料理が並べられていた。
勧められるままおいしい料理とお酒を味わっていると、母娘が舞い始めた。
それは見たことがない不思議な、けれども見事な舞いだった。
大いに堪能したMさんが礼を述べて帰ろうとすると
「外は大雨が降っています。もう夜ですし、お泊まりくださいな」と引き留められた。
そう言われて初めて轟々という雨音が聞こえてきた。
その音を聞いていると頭がぼんやりとしてきて、その場に崩れるように眠ってしまった。
「おい! Mさん。大丈夫か?」
その声に目を開けると煌々と月が照らす大きな岩の上に寝ていて、村の若衆数人が心配そうに覗き込んでいる。
「ありゃ? さっきまで大雨だったのに濡れとらんなあ…」
「何を言っとるんじゃ。雨やら降りゃせんが」
「綺麗な女と娘? そら狐に化かされたんじゃ」
「けんど化かされて良かったぞい」
実はその晩、村に大事件が起こっていた。
宿屋に逗留していた若侍が突然おかしくなり、刀を振り回して幾人もが怪我を負ったのだ。
「あんたんトコにも押し入ったんで皆で助けに入ったんよ。若侍は取り押さえたがの、あんたの姿が見えんじゃろ…ほんで探しとったちゅう訳や」
「ほんに命拾いしたのう!」
話を聞き終わるとMさんは立ち上がり、森に向かって深々と礼をしたのち大声で叫んだ。
「ありがとなあ〜折詰は食べてくれ! お礼じゃ〜」
…それから数日後。
Mさんがいつものようにお稲荷さんにお参りすると、狐像の首に風呂敷が巻かれていた。
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「Mさんはどこかでキツネの子を助けてたのかな?」
語り終えた祖母に聞いた。
「それがまるで覚えがなかったそうだよ。不思議だねえ…さて久しぶりに甘酒でも作ろうかね」