私が小さい頃、明治生まれの祖母がちょっと怖くて不思議な話をたくさん聞かせてくれました。少しずつアップしていきます。
小学1年生の冬休み、探険気分で裏の倉庫をあさっていて自転車を見つけた。
黒くて大きく重い、とても古い自転車だった。
引き出してみるとタイヤもパンクしていない。ペダルも回る。
表の道で三角乗り(サドルに座ると足が届かないので三角のフレームの間に座る乗り方)をしてみたが、ちゃんと走る。
掘り出し物を見つけたような気がして大変満足し、車庫に停めて家に入った。
翌日、近所の友達とその自転車に乗って遊んでいたとき、悲鳴が響いた。
中学生のS兄ちゃんが妹のMちゃんを後ろに乗せて走っていたら、Mちゃんの左足が後輪に巻き込まれたのだった。
足が大きく裂けていて、すぐに病院に連れられていった。
残っていた子どもたちも遊ぶどころではなく、家に帰った。
その翌日、車庫を抜けようとした父はズボンが自転車に引っかかり転倒、左脚を大きく切った。
血止めだ! 病院だ! と家族は大騒ぎだった。
そして次は私の番だった。
あの黒い自転車に乗り、飛ぶような速度で気持ちよく走っていたら、左脚に違和感がある。
左脛(すね)が痛い? いや痒(かゆ)い…何だろう? そう思った瞬間目が覚めた。
寝間着の左脛のところが真っ赤に染まっている…
嫌な予感を感じながらめくると向こう脛に骨が見える大穴が空いていた。
電気あんかでじっくりひと晩焼いた、低温やけどだった。
急ぎ病院に担ぎ込まれ、なんとか脚を切断することは免れた。
その日の午後、湯治に出掛けていた祖母が帰ってきた。
「これを見つけたんだね…やはり処分しておけばよかった」
ことの次第を聞いた祖母は黒い自転車を見ながらそう言った。
その自転車は戦後すぐに祖父が戦争で亡くなった知人の家族から譲ってもらった物だった。
当初から使う人がやたらとけがをするので、これはおかしいとすぐに気付いたそうだ。
処分しようかとも思ったが、物が不足していたこともありそのままにしていて、いつしか忘れられていたのだった。
こうなったら一刻も早く処分した方がいいと、その日のうちに祖母は知り合いの解体業者のUさんに連絡した。
これまでのいきさつを説明したがUさんは笑って
「科学の時代にそんなことがあるもんか!」と言い、自転車を軽トラックに載せると帰って行った。
数日後、Uさんが訪ねて来た。
「あれを他のスクラップと一緒にプレスしよったら、突然部品が飛んできたんじゃ。当たりどころが悪かったら死んどった」
ズボンをめくると左脚には包帯が巻かれていた。
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「物が祟ることあるのかな?」Uさんが帰った後、祖母に尋ねた。
「どんなに新しくても、どんなにきちんと整備していても、考えられない事故を続けて引き起こす道具というのはあるよ。君子危うきに近づかず…早く治るといいね」
そう言いながら祖母が脚をさすってくれた感触を今も覚えている。