「ラーメン屋のせがれ」(改題しました)

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第2回 ひっきりなしにお客さんが来た開店直後

 久留仁譲二です。「元ラーメン屋のせがれうんぬん・・」という長たらしいタイトルを付けた初回に続く2回目のラーメン屋ばなしです。めんどくさいので、「ラーメン屋のせがれ」と短く改題しました。

 上の写真は、うちの親が店を閉めるまで使っていたラーメン鉢(どんぶり)です。薄くコンパクトで使いやすいのでいくつかもらって来て自分の家用にしてました。今も一つだけ残ってる年季ものですが、描いてあった屋号はすっかり薄くなって、というか消えてしまってます。他の店より麺の一玉の量が少なく100グラムだそうです。全国のラーメンを食べ歩く山内直人さんという若きラーメン評論家が来店したときに量ってくれてたようで、その著書で初めて知りました。

 大盛ラーメン用のどんぶりは一回り大きく重量感がありました。

恐ろしいくらいに繁盛

 さて、46年前めでたく開業した両親のラーメン屋、「ご祝儀相場」というやつでしょうか、始めた当初はおそろしく繁盛しました。ほんとうにひっきりなしにお客さんがやって来ます。これが見てて楽しい、たのしい。今思い出しても素人だった父母がよくパニックになることなく仕事をさばいたものだと不思議に思います。さすがに二人だけでは手が足らず、わりと近くに住む親戚とかて手伝ってもらっていて、しばらくしたらパートの女の人にも来てもらっていたと思います。

 父は、その母であるばあさん譲りで細かい金勘定、暗算がすごく得意で、お客さんの注文にいちいち伝票を書いたりせず、全部即時に計算してました。「チャーシューメンとラーメ卵2個、コーラで980円(数字は今適当に書いてます)」といった調子で、まず間違えないので初めて見た人は皆驚いてました。後年私も店を手伝ったとき、見習ってやってましたが、数人程度ならダイジョブでも満員の混雑になると、もう無理でした。

 私が友だちを店に連れて行ったときとか会社の同僚などが「今度お父さんの店行ってみるわ」というときに、おすすめしてたメニューが、「ワンタンメン」です。最初から置いてたので当然と思っていましたが、十年ほど前東京から転勤して福岡に来ていた知人に食べてもらったとき、「とんこつラーメンの店でワンタンメンは珍しい」と言われてましたが、そうなんでしょうか。

 店で出す食材はほとんど専門の業者からの仕入れでしたが、ワンタンだけは近所のダイエーに皮とひき肉を買いに行って、手の空いた時間に主に母が包んでました。上の写真はぎょうざのタネで、ワンタンの具ではありませんが、イメージとしてはこんな感じです。

 中学生高校生の頃の私は、ワンタンメンでは物足りず、だいたいワンタンチャーシューメン大盛りとかをごはんまで付けて平らげてました。

家族で舞い上がる

 それで、店を開ける午前11時から夜までほぼ途切れず来店、小銭がチャリンチャリンと音を立てて入って来る状況に笑いが止まりません。月に一度の安月給で生活していた者が「日銭商売」の甘美な楽しさを知ってしまいました。そりゃ舞い上がりました。

 たまに早い時間に上がり、家で夕食がてら祝杯気分で飲んだとき父は、「この調子でやってれば、(故郷の)大分に支店も出せる」と大言壮語してました。お金を借りているきょうだいを招いてるときにもそれを言ってたので、「支店出す前にお金返すのが先じゃなかろか」という声も聞こえてきましたが、最初の心配をよそに店がはやっていることで、家族、親戚全体が躁状態にありました。

 私ら子どもは、「お店をやってる」非日常が日常になっていること、ラーメンが好きに食べられる、コーラやジュースが山ほど置いてる状況が愉快でした。今まで無かった車があることでも気分が上がったものです。

 そんなご祝儀相場の好調は2年くらい続いたでしょうか。

(※今少し、開店後の状況を書いておきたいと思います)

第3回につづく

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“ブログ内コラム”「せがれから見たラーメン屋という稼業①」【久留仁譲二の小市民だより】  こんにちは、きょうも大欲なく、チマチマと過ごす久留仁譲二です。いつもなんということもない日常ばなしを書いてて、読む人も少ないと思いますが、たまには変化をつけたく、「元ラーメン屋のせがれ」という立場から見た「ラーメン屋という職業、その立ち位置や内情」みたいなことを不定期につれづれに書き連ねたいと思います。「元」と書いたのは、親がすでに店をたたんでいるからです。 写真もほぼない殺風景な文章ですが、時間と興味のある方は読んでみて下さい。 手始めに、ほぼ四半世紀前の開店時のことを書きます。

※この記事内容は公開日時点での情報です。

著者情報

米国の本家と同い年のシニアブロガー。毎晩長いときは30分に及ぶ歯磨きを欠かさない。最近覚えたメルカリへの出品にはまっている。
17年乗った作業用の軽トラックをカッコいいカーキ色の新車に買い替えた。

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