春3月、ということで暖かい日が多くなってきた。寒がりの猫としてはありがたいかぎり。相変わらず外にはなかなか出してもらえないが。
悲しいお知らせがあります。
このサ日記にも時々登場して、悠々としたたたずまいで貫録を示してきたご長寿猫のしろさんが、昨年12月に静かに息を引き取っていた、と聞いた。
↑これが、昨年11月に撮られたしろさんの写真。わが家で見ることのできる最期の姿だ。
最近姿を見なかったし、だいたいあったかくなると、散歩してる様子がよく見られたのに現れないから心配しておったが、この寒かった冬を越すことなく、天に召されていた。
ここしばらくは、ご近所に置かれたスクーターの上でひなたぼっこをするのが日課だった。気持ちよさそうに過ごしていた。
おれが今の家に飼われる前に居て10年以上生きたみぃさんと同じ頃には既に活躍してたというから、もう20歳を超えるかと思っていたが、面倒をみてた人の話では、享年17歳だったそうだ。今年18歳を迎えると思ってたそうだが、無念であろう。
こんなふうに側溝にうずくまり、周囲をうかがうことも多かったが、時には道の真ん中で寝そべって動かないので、時々通る車も遠慮してよけて通るほどの存在感を発揮していた。
50メートルほど離れたわが家にもちょいちょい顔出ししていた。猫の町内会長として、他の猫の様子を見回ってくれていたのだろう。おれの飼い主が抱え上げて部屋に入れたときは、相当いやがって暴れていた。猫の自由を奪っちゃダメだ。
しろさんは、近所で一人暮らしをしていたおじいさんとも仲が良く、その方が亡くなったあともそのアパートの前に座り、故人を偲ぶ義理堅いところがあった。
しろさん、長い間ご苦労さまでした。このまちの安全はおれたち後輩が守りますから、ゆっくり安らかにおやすみになられて下さいニャ。
静かに黙祷を捧げる。
去る猫がいれば、来る猫もいる。おれの押しかけ弟子、チョビは日々元気だ。家に来たばかりの頃は別の部屋の片隅に隠れていたが、最近はほとんどおれがいる茶の間で過ごしている。
人間が近づくと、「イカ耳」になって、「シャーッ!」とか「フゥーッ!」とうなって威嚇したものだが、最近は少し撫でられたりもするようになってきた。おれが、飼い主の膝の上でリラックスしてる姿を見て、「飼い猫のあるべき形」を勉強し始めたのかもしれん。
ん、チョビのおかあさんがやって来た。
おかあさんが、「この子はちゃんと飼い猫としてやっていけてるのかしら」という顔をしているぞ。
毎日面会に来てけっこう長い時間過ごしていく。心配せずともチョビはダイジョブだ。
とにかく、やたらおれのマネばかりする。
毛布が気持ち良さそうに見えると、すぐやって来る。
長年住んでるおれよりもエラソーな顔してやがる。
からだも少しずつ大きくなっている。
気持ちよく箱で寝てると、ぐいぐい頭を突っ込んでくる。
時には踏みつけるようにおれの上に乗りかかることも。礼儀も何もあったもんじゃない。
かみついておどかしても、どこ吹く風。得意満面だ。
箱を出てもちょっかいを出してくるんで、おちおち昼寝も出来ん。
近寄ってきてもいいが、おとなしくしてて欲しい。
落ち着きのない子ども猫のチョビだが、学びつつあることもないではない。
エサを寄越せと主張するときには、ニャアニャア大声を出してアピールするよりも、真剣な眼差しでじっと黙って訴えるのが良策だ。おれがそれをやってると、チョビも横にやって来て黙っていることを覚えた。
なんとかおれたちがエサにありついたら、見慣れぬ猫が顔を出した。うちにはいろんな黒猫がやって来るが、こいつは毛がふさふさしている。モップのようなやつだ。かなりデカいが初めて見るので、どこからか流れてきたんだろう。
デカい黒猫といえば、こいつクマだが、相変わらず悠然と庭をのし歩く。おれが出られないと思ってつけ上がっている。
これは、クマがまだ今ほどは大きくなっていない頃だ。エサを狙っているが、一歩も引かないしろさんの威厳に恐れをなしているようだ。
今さらながら、しろさんの偉大さがわかる。
しろさん、ありがとうございました。