3月26日に新生飯店さん、27日に平和楼さん、私も昼ごはんにちょいちょい通った天神の中華のお店が閉店。私の「昭和」が、今月また二つ無くなってしまいました。
両店の店じまいを知ったのは今年に入ってからですが、その後どちらも食すことができませんでした。
平和楼は先週大濠公園のお店に行こうとしたんですが、昼前に既に大行列。2時間くらいかかりそうだったので、あきらめました。そのお店には入ったことあったかなあ。記憶がはっきりしません。
ここ何年かいちばんよく行ったのは、ソラリアステージの地下、「趙の家」と書いて「チャオの店」と読む屋号のお店でした。だいたい担々麺を頼むことが多かったですが、チャーハンも好きでした。両方とも余計な小細工のない普通のおいしさが良かった。以前はソラリアプラザのお店によく通ってたんですが、ステージの方がカジュアルな感じで気軽でした。
趙の家は一足先に閉店されてたんですね。
お店があった場所、こんなふうになっています。
別の新しいお店が入るんですね。長く続いただけに寂しいもんです。
閉店後の本店を訪ねてみると、中で従業員の方が片づけをされている様子でした。
この本店では、普通に食べたことよりも宴会とか麻雀をした思い出の方が残ってます。
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新生飯店さん、ごめんなさい。今回訪問しておらず写真を上げることができません。
こちらも40年近く前の入社以来、先輩に連れられて何度も何度も通いました。昭和はもとより平成、令和と元号が変わっても、まったく変わらぬ風情でゆるぎなく営業されてました。1階のカウンターは席数に限りあるので、ほとんど2階か3階にトントントンと階段で上がってました。注文の品をおばちゃんに告げてから昇るので、すぐにメニューを決めなければなりません。と言いつつ、ほぼ店に向かう途中で決めてました。チャンポン、皿うどん、焼き飯が三本柱で、たまにパリパリ焼きそばという感じです。お客さん多いのに、注文間違いありませんでした。
味はなぜかわかりませんが、「くせになる」という言葉がピッタリ。無限にドハマリし続けた上司がいて、ある時期週に二、三回連行されてました。不思議とあきませんでした。
昼しか行かなかった人は、店内にもつ鍋の写真やメニューが貼ってあることを不思議に思われたかもしれませんが、夜は「もつ鍋 楽天地」に早変わりするのです。ここ何年かはやり始めた「間借り」スタイルの先駆者です。どっちがどっちに貸していたのやら。
この新生飯店の近くには、「寿(天ぷら)」「ながた(焼き鳥&カレー)」「コービン(珈琲)」「イブリック(喫茶・軽食)」などなじみの飲食店が色々ありました。味のあるお店が姿を消していくにつれ、昭和が遠ざかります。
しゃれた新しいビルもけっこうですが、古い情緒も残さないと街がつまんなくなりますよね。
さて、西日本新聞の記事。今回閉店された二つのお店を取り上げ、”天神の「町中華」惜しむ”と見出しがついてました。
ズバリ、新生飯店さんは「町中華」ですが、平和楼さんは「町中華」ではないと思います。なにせ「株式会社 平和楼」経営ですから。
町中華という言葉は、6年前に福岡市生まれのライター、北尾トロさんが「町中華とはなんだ」という本を出されてから世間に広まっていったようですが、個人経営で、カウンター越しの厨房の親父さん(あるいはおふくろさん)が中華鍋振るって、お客さんが少年ジャンプやスポーツ新聞読みながら待つイメージが正解でしょう。
それこそ昭和人間である私は、町中華が大好きです。いつか好きなお店のことを書きたいと思ってます。