福岡市在住で様々な街づくりの企画に携わっている福岡テンジン大学の岩永学長。今回は、岩永学長が自ら体験した博多エリアの発掘作業のエピソードから、福岡人の福岡好きのDNAを考察します。これを読むと、必ず誰かに話したくなること間違いなしです。
とても奇妙な都道府県ランキングがある。「地元愛」「郷土愛」の強さ・高さの都道府県ランキングだ。そのテーマが奇妙なのではなく、福岡県の順位が奇妙なのだ。 多様なメディアや研究機関が調査するこのテーマ、トップ10に入る都道府県の特徴は「観光地」なのだ。北海道、京都、沖縄は定番、次に広島や奈良、栃木などがランクインしていることが多い。 北海道や沖縄はリゾート、京都や広島や奈良も栃木も、主となる歴史的コンテンツがある。そして奇妙なのはこのランキングに、常にトップ10入りの常連なのが、リゾート地でもなく歴史的観光コンテンツも強いわけではない「福岡県」なのだ。 ところで、福岡で観光と言えばどこをイメージするだろう?多くの人はこう答えるだろう「まずは、太宰府(だざいふ)かな」。そして次に出てくるのは「博多で夜に美味しいご飯を」。 そんな紹介をしたり、されたり、経験はないだろうか?
日本最古だらけ!?2000年も都会であり続けている福岡
福岡市営地下鉄・七隈(ななくま)線の天神南駅から博多駅までの、延伸区間が開通するのは2022年予定。 その博多駅までの途中、キャナルシティ博多の真ん前に中間駅(まだ名前が決まっていない)が設けられる。実は延伸工事の直前に発掘調査がされていた。 このとき、福岡出身タレントのタモリさんがTV番組「ブラタモリ」で発掘調査していたのだが、タモリさんが掘る前に、私は福岡ローカルのTV番組「ももち浜ストア」に出演し、まちのナビゲーターとして発掘調査のロケをさせてもらった。 このとき、私が発掘したのは平安時代の陶器。実は博多駅周辺は200回以上も発掘調査が行われている全国でもトップクラスの遺跡群。 普段は多くの建物・ビルに囲まれており気づかれることもないのだが、博多駅周辺から南方は「どこを掘っても出る」と、土木関係者から言われるほど歴史が埋まっているエリアなのだ。 現に、私が掘ったキャナルシティ博多前のエリアは、弥生時代から江戸時代まで2000年分の人の営みが出土している。そう、この博多は2000年ほど港町として常に都会だったのだ。
✔博多区にある板付(いたづけ)遺跡は日本最古の稲作農耕跡が出土 ✔博多区の那珂八幡(なかはちまん)古墳は九州最古の前方後円墳と言われている ✔西区の吉武高木(よしたけたかぎ)遺跡からは日本最古の三種の神器(剣・鏡・勾玉)が出土 ✔西区の九州大学が移転する前の発掘調査で、日本最古の暦使用の刀が出土 ✔早良区有田では日本最古の絹が出土 ✔中央区の福岡城址内には日本で唯一の鴻臚館跡(こうろかんあと)が出土
施設名:鴻臚館跡展示館
住所:福岡県福岡市中央区城内1
起源の古い神社の参道が不揃いに西を向いており、古くより福岡(当時は博多)というまちがいかに交易・交流の拠点であったことが伺える。
時代の最先端が入って来る土地柄
2000年ほど前からこの土地は海外との交易・交流が盛んで、常にここ博多という港町を経由して人・物・文化・情報が入ってきていたことになる。 遣隋使・遣唐使は必ず博多を経由し、大陸から持ち帰られた物はまずこの土地でお披露目された。 その証拠に、うどん・そば・まんじゅう・ういろう・お茶の発祥はここ福岡である。
施設名:承天寺
住所:福岡県福岡市博多区博多駅前1-29-9
さらに弘法大師・空海が遣唐使で帰還し博多に寄港した際、この地より真言密教が東に長く広まるようにと日本で最初に建立したのが、五重塔もある東長寺(とうちょうじ)である。
そう、もうお分かりだろう。ここ福岡という土地柄は、大陸(海外)と国内を繋ぐ交通の要衝で、常に新しい人、新しい物、新しい文化、新しい価値観、新しい何かに触れることができた土地なのだ。
約1350年前に出来た人の流れが現代も!?
そんな国際港だったこのまちが、国家的危機を迎えたことが何度かある。奈良時代の西暦663年、朝鮮半島で白村江の戦いが勃発。 日本・百済との連合軍が、唐・新羅の連合軍との戦いに敗北したのだ。当時の日本国の政治を司っていた天智天皇は、このまちにあったとされる政治機能を太宰府に移転。 それを守るように水城(みずき)や大野城(おおのじょう)を築いた。 それ以来、港町としての博多は交易で、太宰府は政治で、それぞれ人が往来するようになっていった。そして博多のまちは人・物・文化などあらゆるものが経由していったのだ。 さて、この1350年ほど前に出来上がった博多と太宰府の人の動き、何かと似ていないだろうか? 中世以降、一時的に太宰府は衰退したものの、現代では他県だけでなく海外から多くの観光客が太宰府を訪れるようになった。 そして博多(今では天神も)は、2000年以上も「新しいコト」を受け入れる交流の拠点を続けている。この「人の動き」が2000年以上も続いている日本国内の都会は、他に例がないのではなかろうか。
福岡の“都市のDNA”とは?
この地球上で、ヒトという遺伝子を持った生命体が各々の意思で動くとしても、その行動を制御するプログラムがあったとしたら、いったいどのようにデザインされるのだろう。 2000年ほども人々が同じように動き流れていく様は、まるでまち全体がプログラムされたかのようになっている。 そんな現代の福岡のまちは、「新しいコト」に敏感かつ、積極的に取り入れようとする空気がある。これも時代の積み重ねによって培った福岡独特の文化かもしれない。そしてこれが“都市のDNA”を構成する要素ではないだろうか。
でもまだ説明が付かない現象がある。冒頭の奇妙なランキング結果とともに、福岡市が毎年調査する市政調査「福岡市のことが好きですか」の市民の回答が、誰が見ても異常(97%が「好き」または「どちらかと言えば好き」と回答:2020年1月発表)であることだ。 次回はこれを深掘りしてみたい。 文=岩永 真一
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