明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」、多くの方からいただいた「続きが読みたい」の声にお応えした第2シリーズです。
小学二年生の時、祖母と一緒にY県のT温泉に数日間逗留したことがある。
かじか蛙が鳴く山中のひなびた湯治場で、温泉に入る以外にはやることがない。
名物の三猿饅頭を食べながら、持っていった本を読むともなしに眺めていると祖母が言った。
「私のお父さんが経験した不思議な温泉の話をしてあげようか?」
「うん。お願い!」と本を放り出した。
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祖母の父は旅行が好きだった。
とりわけ温泉地を好んだ。
近場は行き尽くしたので、数日掛けて遠出をすることもままあった。
祖母が六つの夏、遠くM県の温泉に出かけていた父が帰ってきた。
手には徳利を下げて門の外に立っている。
「おかえりなさい」という祖母の母にも応えず猪口を持ってこさせると酒を注ぎ、家の四方に置いた。
それから塩を自分に振りかけさせると、やっと家に入った。
「何かあったんですか?」
そう不審がる母に父は荷物をほどきながら話しはじめた。
「逗留した宿で意気投合した泊まり客から少し離れた山ん中に秘湯があるち聞いての、夜中にわしゃ一人で出かけたんじゃ。思ったより遠かったがこれがええ湯でのう。入っとるのはわし一人、満月を見ながら堪能しとると少し離れた木立の辺りに白いモンが揺れた。なんじゃろと思って目を凝らすと女がこっちを見て笑うちょる」
「湯に入りに来たのでしょうか?」
「わしもそう思ってな『もう上がりますけん、お入りなさい』と言うたんじゃけんど、笑うばかりで来ようとせん。聞こえなかったのかと思い、湯から上がり着物を着て近づいてみたんじゃ」
「どうなりましたか?」
「女はおらず、なんやら分からん大けな動物の頭の骨が転がっとった。宿に戻ると女将が出てきたんでこの話をするとの暗い顔で言うんじゃ」
「何と?」
「『あんた悪いモン見たなぁ。あそこは行っちゃいけんとこだで』とな。そして翌朝、宿を発つときにこの徳利を渡されて家に帰ったら中に入る前に必ず四隅に供えろと言われたんじゃ」
語り終えた父は驚く母にかまわず、「厄払い厄払い」と徳利に残った酒を飲み干した。
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「…家まで着いて来てたのかな?」
「入った人の家から火が出たり水死人が出たりするという曰く付きの秘湯で、知っている人は決して近づかない場所だったらしいよ」
「お酒ではらえたの?」
「お酒や塩は清浄の象徴だから魔を祓う力があると昔から信じられているからね。でも直接飲んだのが一番効いたのかも」
そう言うと祖母はまた湯に出かけた。
一人で部屋に残るのが怖くなったのでそそくさと後を追った。
チョコ太郎より
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