福岡市の小さなアトリエから生まれた服が、アイドルや実力派の女優たちに愛され、ファッション誌のみならず人気テレビドラマの重要なシーンに登場しています。福岡発の映画「ある女工記」の衣装制作が、台湾の映画祭で最優秀衣装賞を受賞した小畑亮二さん。フリーライターの永島順子さんが福岡を拠点に商品開発に努める企業・人に迫る本シリーズ。今回は〈-by RYOJI OBATA〉の「秘密」に迫ります。
落ち着いた街並みのアトリエ。ここが注目レディースアパレルブランドの発信基地
〈-by RYOJI OBATA(ラインバイリョウジオバタ)〉のアトリエ及び直営路面店「SENRI」は、福岡市中央区白金にある。 2011年、マンションの一室で服を作って発表するいわゆる“マンションブランド”としてスタート。手狭になり転居を考えた時に、天神でも博多駅周辺でもない落ち着いた街並みを選んだのは、「静かにもの作りを続けたかったから」だという。 「1日1人、2人でも、ふと目に止めてのぞいてくれたらいいんです」。静かに語る小畑亮二さんは、シャイなことに加えて「ブランドイメージを損なわないために」と、自らが表に出ることを避けている。 20代でオリジナルブランドを立ち上げ、時代の最先端を駆け抜けるファッションデザイナー。とっつきにくい、とんがったアーティストタイプか、あるいは専門用語を挟みながら饒舌にまくしたてる理論家か? 気後れしながら取材に向かったのだが、意外なほどの物腰の柔らかさに少々、拍子抜けするほどだった。
いや、しかし。東京、大阪、東北と全国各地のセレクトショップをはじめ、中国・上海でも愛されているブランド。生き馬の目を抜くと称されるアパレル業界で、このような実績を挙げる背景には、何らかの秘密や戦略があるはずだ。
小さなアトリエで静かにもの作りを続ける小畑亮二さん。内に秘めた熱量が落ちることはない
白を基調にしたブティック「SENRI」。自社製品のほか、服の背景に意味を持った国内のデザイナーズブランドをセレクトする
東京のスタイリストたちの目をひいた「他のブランドにはない」デザインの魅力
狐を表す手遊び風のイラストが描かれたTシャツは、どこかで目にした記憶が……そうだ、昨年秋の連続ドラマでヒロイン波瑠が着ていたものだ! 「狐の嫁入り」をインスピレーションに製作され「告白 嫁入り」と名付けられたシリーズ。2014年の発表以来、長く愛される定番アイテムだ。
今年2月にオンエアされた単発のドラマで、真木よう子が着ていたシンプルなシャツブラウス、橋本愛が連続ドラマで羽織っていた短めのトレンチコート……。〈-by RYOJI OBATA〉の作品は、ファッション誌やCM、TVドラマ、映画などで目にする機会が増えている。 メディア露出は、2015年に東京・原宿で開いた展示会がきっかけだった。 「秘密」のタイトルで「ファッションデザイナーを夢見ながら古着屋で働く女の子」を主人公としたその展示会は、発信力あるモデルを起用したこともあり関係者の間で大きな話題を呼んだ。 特に注目したのが、映像・雑誌で活躍するスタイリストたちだった。担当する女優やモデルの魅力を引き出すアイテムを求め、常にアンテナを張っている彼らにとって、「ベーシック」ながらも「他のブランドとかぶらない特別な雰囲気をまとった」〈-by RYOJI OBATA〉のデザインは新鮮なものだった。
「2020春夏コレクション」は福岡の海岸で撮影。黒髪の清楚なモデルが何気なくまとうサージカルガウンは、ユニセックスで注目されそう
シーズンごとのテーマから物語が浮かび、ストーリーを服に落とし込んでいく
奇抜なデザインならまだしも、「ベーシック」かつ「他のブランドとかぶらない」特別な世界観を打ち出すことはなかなか難しい。 秘密の一つは、小畑さんの服作りのスタイルにうかがえる。 2015年秋冬のコレクションのテーマは「秘密」だったが、その前の春夏コレクションは「サクリファイス」。翌16年春夏は「千里の向こうに君を見た そして大人になる」、さらに「幸福シスター」「一衣爛々」「シンパシー」……。 小畑さん: 「シーズンごとにテーマを考え、そこで物語を描き、その物語をもとに登場人物の服をつくりあげていくのです。」
自分自身の経験や日々かすめる疑問、人との出会いなどから生まれる「言葉」がテーマとなり、そこから物語が浮かび、その物語を「服」というカタチに落とし込んでいく。「ストーリー性が感じられる服」は、こうして生まれてくるのだ。
「東京と同じ事をやっていてもしょうがない」。未開拓の外注先発掘が大きな「信頼」に
もう一つの秘密は「福岡」へのこだわりにある。と言っても、別に「福岡らしさ」を作品の前面に打ち出しているわけではない。 小畑さん: 「イメージが近いブランドって、どうしても外注先や仕入れ先がバッティングしちゃうんです。」 手慣れた外注先の方が安心かもしれない。しかし、小畑さんは「東京と同じ事をやっていてもだめ。せっかく地方でやっているのだから、他のブランドとかぶらないところを開拓しよう」と考えた。
人づてに、縫製工場を定年退職した腕のいい職人や、もの作りを続けている人たちを探し当てては出向き、自分の目指す縫製ブランディングについて熱く語りかけた。そんな小畑さんにほだされて、協力を申し出る独自の外注先が徐々に増えていった。 みんなで〈-by RYOJI OBATA〉の商品を創り上げるという思いを共有しながら、ミシン一つで黙々と縫製を続けてくれる職人たち。 「地方なのに、どうしてここまでできるのか」「どうしてこの価格で出せるのか」。東京の関係者から不思議がられる価格設定で、質のいい商品を提供し続けられるのは、彼らの存在あってこそのことだ。
「他のブランドとかぶらない外注先」の強みは、それだけではない。 他ブランドとバッティングすると、そのしわ寄せで納期が遅れてしまうことが多々ある。「〈-by RYOJI OBATA〉は納期が遅れない」。この信頼も大きな財産である。 そして、「福岡ブランド」「東京ブランド」といったカテゴリーを表に出すことなく、シーズンごとに淡々とコレクションを発表し続ける。 確かに、ファッション界では東京から全国への発信なしには難しい。 が、それだけに全国メディアで見た作品が、実は福岡の小さなアトリエから生まれ、発信されていたものだと知ったときのユーザーの「驚き」や「疑問」は大きく、それこそが「〈-by RYOJI OBATA〉のファッションの重要なツールになる」と小畑さんは確信している。
小畑さん: 「東京ありきの地方、地方ありきの東京と考えています。」
「人に認めてもらえる喜び」が原点。物語と服が一つのラインにつながっている
小畑さんをファッションの道へ向かわせたのは、高校時代のオーストラリア語学留学体験だ。 小畑さん: 「日本では古着とブランドを混ぜた重ね着スタイルが流行し始めたころでしたが、街へ出掛けたら同世代の若者が着ている服がまったく違う。 単純に『海外=おしゃれ』と思っていたけれど、店に買いたいものは何もない。場所や文化が変わると服も変わることに興味が湧いてきたんです。」 そして、福岡の服飾専門学校に進んだものの、2年間は服作りに楽しさが感じられず「遊び惚けて赤点ばかりだった」という。 進路面談時に「デザイナー志望」を告げると、担任から「授業以外に洋服を作ったこともなく、授業中は寝てばかりでデザイナー?」とけんもほろろにあしらわれた。
すべて当たっているだけに悔しくて、女性用パンツを一晩で作り上げたところ、同級生が「カワイイ!買いたい!」と言ってくれた。 そこで初めて、自分でデザインしたものが人に認めてもらえる喜びを実感。彼女の一言がなかったら、〈-by RYOJI OBATA〉は生まれていなかったかもしれない。 在校時にイベントスペースを借り切って友人たちと展示会を開催。福岡でアパレルメーカーに就職した後も1人で展示会を続け、2年後に独立した。 今でこそ、全国、海外にまで広がるブランドだが、当初の取り扱い店舗は福岡2店、出身地の大分1店のみ。キャリーバッグにサンプルを詰め込み、アポイントなしで店を回るなど地道な努力を重ねてきた。
小畑さん: 「学生の“ブランドごっこ”の当時から、福岡のクリエイター、業界関係者の皆さんが真剣に厳しく批判して下さった。それが大きな宝になりましたし、この街に育てられたと思っています。」 地方ならではのコミュニティーで受ける仕事ができないか。そう思っていたときに、福岡発の映画「ある女工記」の衣装制作の依頼が舞い込み、台湾のフォルモサ国際映画祭で最優秀衣装賞を受賞した。 小畑さん: 「来年10周年を迎えます。無理に急がず時間をかけながら少しずつ大きくしていきたい。今は上海などへ商社を通して卸していますが、ゆくゆくは海外での展示会、販路拡大も視野に入れています。」
ブランド名〈-by RYOJI OBATA〉の冒頭の「-」=「ライン」は生命線を意味する。
2020春夏コレクションのテーマは「終点」だが、もちろんここで完結するわけではない。デザイナー小畑亮二による生命線から生まれたストーリー、服は並び変えると大きな一つのラインにつながっていくという。服たちの行き先が楽しみだ。 文=永島 順子
-by RYOJI OBATA(ラインバイリョウジオバタ)
■創業 2011年4月 ■所在地 福岡市中央区白金2-7-8 ISIS 白金ビル1F