九州から宇宙へ! 衛星開発ベンチャー「QPS研究所」の師弟の夢

「小型衛星36機で世界を10分おきにリアルタイム観測する」という壮大なビジョンを掲げる福岡市の衛星開発ベンチャー「QPS研究所」。九州大学の衛星開発プロジェクトで出会った二人が開発の中心にいて、「九州に宇宙産業を根付かせる」という野望を胸に、衛星開発に挑んでいます。

出典:フクリパ
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原点は、九州大学の研究プロジェクトだった

2019年12月、アンテナを搭載した小型SAR(合成開口レーダー)衛星(注)の1号機「イザナギ」は、ロケット打ち上げに成功した。開発の中心にいる二人は、創業者の一人で現在は研究所長を務める八坂哲雄さんと社長の大西俊輔さんである。 (注)小型SAR衛星:「Synthetic Aperture Radar」の略語で合成開口レーダーと呼ばれる。光学衛星と違い、マイクロ波を使って地表面を観測する衛星。雲を透過し、太陽光のない夜でも観測できる。長らく「軍事機密」として扱われていたことや、アンテナの小型・軽量化が非現実的であったため、商用化は難しいとされていた。

出典:フクリパ:打ち上げ式で、ロケットから小型衛星「イザナギ」が切り離される瞬間を見守る八坂哲雄さん(壇上、右から2人目)たち
出典:フクリパ:「イサナギ」のロケット打ち上げ成功を祝う開発関係者たち

創業者の八坂哲雄研究所長が宇宙開発の道を歩み始めたのは、1963年にまでさかのぼる。東京大学が工学部航空学科に新設した宇宙コースの1期生として進学したことがきっかけだった。後に進んだ東大宇宙航空研究所では、日本のロケット研究の第一人者である故糸川英夫氏の薫陶も受けた。 日本電信電話公社(現NTT)に移ると21年間、通信衛星の開発に没頭。学生時代から常に日本の宇宙開発の最前線にいた。八坂さんはこう振り返る。

八坂さん: 「当時は宇宙開発ブームのまっただ中。大手企業や国のプロジェクトで開発資金もあった。30 代で年間4~5億円は使っていたね(笑)。ものすごくでかいアンテナを作っては壊したものです。」 だが、そのNTT時代に開発現場を見学に来た韓国の衛星開発グループに衝撃を受けた。 当時、衛星開発の課題になっていたのは、真空や放射線の問題に耐える高額な部品。代換え品がなく、ブームも相まって値段が高止まりしていた。しかし、韓国のグループは「安価な民生部品を使って自分たちで作る」という。 八坂さんが親切心で「そんな部品だと放射能で壊れてしまう」と伝えると、「どういうふうに壊れるか見てみたいんだ」と返された。韓国はその後、通信衛星の開発に成功。八坂さんは自分の常識を疑った。 1994年、八坂さんは九州大学の誘いを受けて工学部の教授に就任した。「九州はロケットの発射場(種子島宇宙センター)があるのに宇宙産業がない。宝の持ち腐れじゃないか」。そんな思いを抱いていた。 九大では人材育成を狙い大学発の衛星プロジェクトを主導。ただ、大学だけでは開発資金が乏しく、学生が入れ替わるタイミングで技術伝承が途絶えるという課題もあっため、2003年に地場企業や九州の他大学と連携して九州発の相乗り小型衛星(ピギーバッグ・サテライト)を作るプロジェクトを開始した。このプロジェクトが後に「QPS研究所」の原点となる。 八坂さんがまず始めたのは、“九州行脚”だ。「学生が頑張るからちょっと手を貸してよ」。講演会を開いては、地場企業を口説いて回った。宇宙と聞いて及び腰になる経営者には、「発射から宇宙までの時間はせいぜい2~3分程度。振動や熱はロケットよりも車のエンジンルームの方が厳しい環境になる」と説得した。 八坂さん: 「当時の製造業界には、『宇宙分野は宇宙開発事業団に任せておけば良いんだ』という先入観があった。その心理的ハードルをさげることから始めました。」

技術屋集団に変わった町工場の親父たち

八坂さんの活動に関心を示した企業の経営者や研究者は、150以上の企業・団体にのぼった。「大きな工場を持っていなくても、立派な技術を持っている企業がたくさんあった」 初期のQPSプロジェクトは技術的な問題が立ちはだかったものの、その後の衛星開発プロジェクトには数十社が関わるようになった。福岡県・筑後地域の町工場集団「円陣」のメンバーもその一員だった。

出典:フクリパ:小型衛星を開発した「円陣」のメンバーたち

円陣は2005年に誕生。筑後地域は大手タイヤメーカーの取引先の中小企業が集まっているが、当時は長引く不況で事業を畳む仲間もいた。「ものづくりに魅力を感じない若者が地元を去っていってしまう」。そんな危機感を抱いた町工場の親父たちが集結した。金属加工や、精密部品製造、機械加工、内装部品加工などの中小企業だった。 誕生から2年後の2007年、メンバーの一人でフッ素樹脂コーティング業「睦美化成」の當房睦仁社長は、偶然参加した講演会で宇宙ビジネスに出合った。地元に講演会の内容を持ち帰った當房さんは、仲間に挑戦を促した。 當房さん: 宇宙の話は分からないことだらけだった。だけど、事業を手がけている人が少ない分、俺たちがやる価値は十分あると思うんだ。 後日、知人の教授のつてをたどってQPS研究所を訪問。これをきっかけに、円陣メンバーの有志は、九大が手がける衛星開発プロジェクトなどに参加するようになった。 當房さん: 学生さんに宇宙環境について教えてもらい、ものづくりは自分たちがアドバイスする。時には居酒屋に転がり込んで深夜まで宇宙談義に花を咲かせることもあった。 初めは、あくまで学生の研究開発を手助けする「開発支援部隊」だったが、宇宙環境に耐えるものづくりの技術は十数年で着実に蓄積されていった。 学生たちが卒業後に九州を離れてしまう中、九州の技術集団には衛星開発のノウハウが蓄積されていった。1号機「イザナギ」の開発でも欠かせない存在になっていた。

出典:QPS研究所:アンテナの製作に取り組む八坂哲雄さん(中央)と「円陣」のメンバー

大西俊輔社長が引き継ぐことになった、宇宙開発の夢

QPS研究所は2005年、八坂さんと、九州大学の名誉教授である桜井晃さん、三菱重工株式会社のロケット開発者・舩越国弘さんの3人が、マンションの一室を借りて立ち上げた。 「九州に宇宙産業を根付かせたい」という思いで、九大の衛星開発プロジェクトの支援や部品開発事業を請け負った。しかし、寄る年波には勝てない。70代になった八坂さんたちは、2013年にQPS研究所の店じまいを考えていた。 そこに現れたのが、後に社長に就く大西俊輔さんだった。当時はまだ九大大学院の院生。学部生時代に参加した衛星開発プロジェクトでは、八坂さんからマンツーマンで「熱構造」分野の指導を受けた。 「QPS研究所に入社させてください」。大西さんは創業メンバーの3人に直談判した。大西さんは、宇宙の研究を志した先輩や後輩が九州では働き口がなく、東京などで就職する姿を見てきた。 「自分が研究を続けていれば、九州出身の技術者が戻って来られるんじゃないか」。そんな思いを抱いていた。 大西さんが九州にこだわったのには別の理由もある。地場企業に蓄積されたネットワークと技術力である。 大西さんは衛星開発の実績を買われ、学生時代から他大学の衛星プロジェクトにも参加。その中で九州の技術集団の重要性に気がついていた。

大西さん: 関東のグループは、構想力は強い。しかし、九州には「円陣」をはじめ、八坂さんたちと技術力を育んだ技術者集団がいる。開発のアイデア段階からものを作れることは大きな強み。これを絶やしてはいけないと思った。 大西さんの思いを聞いた八坂さんは大歓迎。二つ返事で、「じゃあ社長になってね」と快諾した。ただ、当時のQPS研究所の社長だった舩越さんは、〝親心〟から入社には否定的だった。八坂さんは「優秀な才能を潰すわけには行かないと思ったんだろう」と振り返る。 そこで大西さんに課されたもう一つの条件が、「事業モデルを考えること」であった。衛星の開発力を強みにしたいと考えた大西さんは、競合相手が少ない小型のSAR衛星に着目。八坂さんに相談すると「作れる」と力強い返事が返ってきた。QPS研究所が目指す36機の小型SAR衛星を使って、地球のリアルタイムな観測を実現するという事業モデルの原型が誕生した。

出典:フクリパ:創業者の八坂哲雄研究所長(左側)と大西俊輔社長

「九州に宇宙産業を根付かせる」という野望を胸に、衛星開発に挑む

八坂さんの情熱を大西さんが引き継ぎ、見事に打ち上げに成功した1号機「イザナギ」。宇宙空間での運用も95%が成功し、現在は画像データ取得のための長期的なプロジェクトに移行している。

出典:QPS研究所:QPS研究所の開発メンバーと小型衛星「イザナギ」

さらに2号機「イザナミ」の開発も佳境にさしかかり、打ち上げに向けた準備に取りかかるが、「まずは一歩ずつ着実に積み上げる」と大西さん。「九州に宇宙産業を根付かせる」。その夢の実現に向けて、これからも師弟の挑戦は続いていく。 文=フクリパ編集部

株式会社QPS研究所

■創業:2005 年 6 月 ■所在地:福岡市中央区天神 1-15-35 レンゴー福岡天神ビル 5F ■ 事業内容 :人工衛星、人工衛星搭載機器等の研究開発、設計、製造、販売 ・上記に関する技術コンサルティング ・宇宙技術に関する研究会、講習会及びセミナー等の企画

株式会社QPS研究所 HP

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