私は子どもを授かった後、短期間ではありますが教員として、とある私立高校に勤めていました。けれど、この教員生活は人生において、とても屈辱的な時間でした。
教員として働き出したものの、待っていた大変な日々
私は第1子の息子を出産した後、8カ月目で私立高校の教員として働き始めました。まだ幼い子どもを抱えながらも、大変だといわれる教員という職に就いたのは、お世話になった大学教授からお誘いをいただいたからでもありますが、それよりも何よりも、お金に困っていたからです。
その当時、私立高校の教員の給料は公立高校の教員の給料よりも少し高く、少しでも多くお金を稼ぎたかった私にとって、私立高校への誘いはまさに渡りに船でした。しかし、この私立高校での教員生活は、私の人生において、とても屈辱的な時間となってしまいました。
同じ科目を受け持つ男性の先輩教員たちからは
「母の力でどうかよろしく」と指導が難しい生徒が多いクラスばかりを押し付けられ、生徒のセクハラ発言に悩まされる日々。
生徒指導の教員や教頭、副校長に相談しても
「男子はこんなもん。先生の息子もきっとこうなる」
「母親らしく、もっと長い目で見てあげて」と言われ、生徒までもが
「母親でしょう?」とことあるごとに言ってくるようになり…。
何かあれば「母親なのだから」と無用の苦労や我慢を強いられることが負担になり、ついには体調を崩してしまいました。そしてなかなか復調せず、授業どころか子育てもままならないようになっていったのです。
もう我慢できない! そんな時に背中を押してくれた先輩の言葉
そんな中、子育ての大先輩であり、私を常に励ましてくれた女性の先輩教員がこう言ってくれたのです。
「生徒たちにとっての母親は別にいるけど、あなたの子どもにとっての母親はあなたしかいないんだからね」と。
この言葉を聞いて私はすっかり目が覚め、副校長の机に退職届を叩きつけ、すぐさま教員を辞めました。
私が退職したことで8クラス、週18時間もの穴が空いてしまいましたが、週に7~8時間の授業しか持たず、いつも休憩室にたむろしていた男性の先輩教員たちが本気を出して頑張って、何とかなったようです。
結局私はうつ病を患っていたようで、その後1年ほど寝たきりの生活を送ることになってしまいました。しかし、今では寛解し、第2子の娘も授かり、元気に子育てに励めています。
そして、母親だからといって誰にでも母の力を発することができるわけではない、母性はわが子にだけ発揮する人もいるのだということを、子どもたちを抱きしめる度に噛みしめています。
(ファンファン福岡公式ライター/ぼたん)