小さいころに買ってもらった雛人形の存在を思い出し十数年ぶりに出してみたら、何ともかわいそうな姿に…。その後、雛人形がどんな道を歩んだのか、事の顛末をお話しします。
近寄りがたい雰囲気の人形
姉と2歳下の妹として生まれた私。写真や洋服の数も部屋の広さも、すべて姉よりボリュームダウン。当然、雛人形もそうでした。段飾りではないものの、姉には3人官女が。けれど、私はお内裏様とお雛様の2人だけ。しかも、現代の雛人形は着物の色合いも淡く、目もぱっちりとしておしゃれな雰囲気のものが多いですが、私の人形は昔ながらの無表情な薄い目で、近寄りがたい雰囲気でした。
毎年母は、ふたつを並べて飾りました。格差は一目瞭然。姉が自分の人形を誇らしげに眺めたり、近所の友達が立派な7段飾りを「すごいでしょ」と自慢げに披露するのが羨ましかったものです。
みんなから忘れ去られていた
姉は結婚の際、自分の雛人形を持って出ましたが、私は実家に置き去りでした。その後、娘を授かり、3月が近づいたとき、ふと自分の雛人形の存在を思い出したのです。
周囲には、わざわざ娘に新しいものを買わず、自分の雛人形を譲った人が結構いました。それは縁起が悪いという人もいるらしいですが、財布には大変優しい選択。
愛着のなかった私の雛人形ですが、今となっては場所をとらずちょうどいい! と調子よく解釈した私は実家を訪れました。
「私の雛人形どこにある?」と聞くと、両親はぽかんとして
「え、うちにあるの?」たいして大きくないから、いくつかある押入れのどこかにひっそり潜んでいるはず。しかしなかなか見つかりません。
実家も広くないし、もう探す場所がない。もしや? 半信半疑で庭に出て、そっと物置を覗くと、タイヤなどが雑多に積まれたその奥に、古びた段ボール箱。運び出したその箱は微妙に湿っていて嫌な予感…。
箱の中から現れたのは、やはり私の雛人形。経年劣化でお内裏様とお雛様の白い顔は薄汚れ、着物の生地にはシミ。ぼんぼりの薄紙は破れ、桜や橘の花びらはボロボロ。なぜか室内から屋外の物置に移され、長年放っておいた結果は悲惨でした。
かわいそうな雛人形の行く末は
大切にしなくてごめんね… と内心反省しつつ、もう飾るわけにもいかず、修復不可能な雛人形をどうしようと悩んでいました。
そんなとき、ある葬祭イベントで「人形供養致します」というチラシを発見し「これだ!」と思い会場へ。応対してくれた年配女性は、傷んだ私の雛人形をおもむろに受け取り、
「丁重に供養させていただきます」と厳かに言いました。会場には大袋に沢山入ったぬいぐるみを背負う人を見かけ、あの子達と一緒に供養してもらえたら、雛人形も少しは救われるだろうか… そんなことを考えていました。
年配女性がお茶をすすめてくれたので、私は自分の人形を大切にしなかった反省を話すと彼女はじっくりと聞いてくれました。ひと通り話を聞いてもらったところで
「互助会って知っていますか? 加入することで斎場の維持費などに使われ、めぐりめぐって雛人形も浮かばれますよ」と彼女の見事な営業トークに感銘を受け、気が付くと私は互助会に入会していました。「これがきっと雛人形の供養になるんだ」と信じて。
その夜、報告を聞いた夫は
「互助会に入会!? うまく丸め込まれたな」と苦笑いしてましたが、私の気持ちが納得したからいいのです! その後、両親が娘用に買ってくれたコンパクトで可愛らしい雛人形は、毎年出して飾って、風に当てて、きちんとお手入れしています。かわいそうな姿で別れてしまった私の雛人形をそっと思い出しながら…。
(ファンファン福岡公式ライター/山ナオミ)