【福博今昔通り物語】vol.12 土居通り一帯編~櫛田神社につながる道

 福岡都市圏の通りを紹介する「福博今昔 通り物語」も、1年がたち、最終回。これまで11カ所の通りをテーマに、さまざまな歴史を振り返ってきました。今回は福岡市博多区の中心部を南北に走る「土居通り」を中心とする物語を紹介します。

出典:ファンファン福岡
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町界町名整理で24町に再編

 土居通りは、博多区の冷泉公園の東側を通り、同区の「那の津通り」に至る約1キロ。博多区の道路愛称事業で2010年に決まりましたが、その前から土居通りと呼ばれていたといいます。

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 土居通りは、博多祇園山笠の土居流(ながれ)を構成する町がある地域で、かつて「上土居町」「中土居町」「下土居町」などがありました。しかし、1966年に行われた博多地区の町界町名整理で、133あった町が24町に再編され、土居町をはじめ多数の歴史ある町名が失われました。しかし、地域の人々は今も旧町をもとに山笠をはじめ伝統行事を行うなど、暮らしの中に根付いています。

金融機関が集積 土居町電停付近

 土居通りと交差する「明治通り」には、かつて市内電車が走り、土居町電停もありました。一帯は金融機関が集積。64年の東京五輪の際には聖火ランナーが駆け抜けました。  土居通りの南側には、櫛田神社( 博多区上川端町)があります。山笠のフィナーレ「追い山」(7月15日早朝)の時には、土居通り一帯は櫛田入りを待つ舁(か)き手の熱気で埋まります。

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 櫛田神社前の通りには、戦後間もなく、道路拡幅計画が持ち上がりました。神社のご神木「櫛田のぎなん」(大イチョウ)の根元付近まで広がりかねない内容に地域の人々は反対し、行政と何年もかけて協議した結果、幅員を一部狭めて建設することになり、ぎなんは守られたといいます(福岡市土木史)。  通りにはさまざまな歴史や人々の思いが刻まれています。地域の「今昔」が集約されていると言えるのではないでしょうか。

◆~ちょっと寄り道~近くの通り散策◆

道路や橋の整備

 福岡市では戦後、都市の復興を目指し道路整備が進められました。限られた予算の中、苦心惨憺(さんたん)しながら整備が進められてきたことが古い写真から浮かび上がります。  1954年5月25日付・西日本新聞朝刊が伝えていたのは、福岡市の中心部を東西に走る「国体道路」の舗装状況。当時、中央部分の6メートルしか舗装されず、デコボコ道に通行車両は苦労していたようです。

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 道路に加え、橋の整備も課題でした。58年3月23日付・同紙朝刊は、道路に比べて、幅が狭い中洲新橋(博多区)の写真を伝えています。同様の状況は各所で見られ、中央がくびれた形状から〝ひょうたん橋〟などと呼ばれることもあったようです。  こうした黎明(れいめい)期を経て整備は進み、現在の姿へと発展していったのです。

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旧瓦町

 博多区の旧瓦町(現祇園町付近)はかつて渕上デパートがあるなどにぎわっていました。54年12月末には市内で開催される世界動物大博覧会に併せて、ゾウなどが通りをパレードしました。

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企画・制作/西日本新聞社メディアビジネス局

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【福博今昔通り物語】vol.1 大博通り編~「太閤町割り」の時代から

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