好きなカレー屋さんがどんどんなくなる【久留仁譲二の小市民だより】

 地獄のような暑さが続きます。みなさん生きてますか。私久留仁譲二は、ひと月ほど前うかつにも熱中症にかかりました。油断して早めの水分補給を怠ったせいです。だいたいすぐ喉がかわいてガブガブ飲むほうなんですが、無理しました。

 唇が痺れて目が回るんで、脳梗塞じゃないかと、けっこうビビります。幸い二日ほどで元に戻りましたが。

 さて、そんな暑いときには、無性にカレーが食べたくなります。子どもの頃、学校でキャンプに行ったとき、なぜかみんなカレー作ってました。今は亡き千葉真一・野際陽子ご夫妻(のちに離婚)もハウスジャワカレーのCMで暑そうな中、ほんとにうまそうにカレー召し上がってました。

 幼少からカレーが好きで好きで家人の作るカレーに飽き足らず、小学5年生頃から辛いカレーを求め自作していた私は、家庭的なにんじん、じゃがいもゴロリタイプから、インド、スリランカ、タイ、スープカリー、そば屋風カレー丼・・・、カレーならなんでもござれの「ユーティリティー・イーター」です。

 そんな私が時々むちゃくちゃ食べたくなり駆けつけていた大好きなカレー屋さん閉店の報が入ってきました。

 愕然としました。数か月あいてなかったので心配してました。こういうことだったんですね。

 福岡歯科大学近くにあった福岡市早良区田村の「カレーショップ 河」さんです。

 河のカレー中盛りです。ごはんだけで700gあります。大盛りになると、ごはん1kg。それで値段は普通盛りとおんなじです。残してしまうと、若干の罰金はありましたが、それにしても気前の良いことです。

 ここのカレーの特徴はじゃがいもなど野菜がルーに溶け込んでしまっていて、独特の粘り気があることです。私好みの固めに炊かれた白ごはんとそのルーが口の中で混然一体となって、一口また一口、量をものともせず一気食いして大満足してました。

 もう一度食べたかったなあ。

 初めて行ったのは、まだ中央区草香江にあった頃。たぶん「シティ情報ふくおか」発行の「美味本(おいしんぼん)」か何かを見て立ち寄ったんだと思います。近くの六本松に九州大学の教養部があったので、その学生さんが多く、値段も抑え、中盛り、大盛り同料金のサービスになったんでしょう。私の知人もその頃常連だったそうで、閉店にショックを受け、「私はどこのカレー屋に行けばよろしいのでしょうか」と泣きついてきました。

 気さくで優しい接客をしてくださっていた奥さん、お亡くなりになられたとのこと、心からご冥福をお祈りします。

 ご主人も体調が良くないとのこと、少しでも早くご快復され、お元気を取り戻していただきたいです。

 もう1軒閉店の報を聞きました。上の写真、大容量トルコライスで大食いマニアに人気だった福岡市中央区春吉のHANAMARU厨房さんです。

 来店するお客さんのほとんどがただならぬ分量のトルコライスを注文していた印象がありますが、実は魚の塩焼きなどの定食もあり、多彩なメニューを供する「厨房」でありました。中でもカレーは野菜やコロッケなどトッピングの種類も豊富で自慢の品であることが感じられました。そもそも、トルコライスにもたっぷりカレーがかかっていて、いわば「カツカレーにナポリタンものっている」ような料理でした。

 このHANAMARU厨房のカレーも日本的なドロっとした一品。特徴的なのは、ひき肉が入っていて、そのダシでコクを出していることでした。万人向けの辛さなので、私はテーブルに置いてあるタバスコやデスソースで辛くしていました。デスソースはヤバいですよ。一度かけ過ぎて、帰りに駐輪場で胃けいれんを起こして倒れかけました。

 おいちゃんとおばあちゃんがよく厨房で口喧嘩をしているのも今となっては懐かしいです。親子なのでしょうか。正直、当時はあまりいい気分にはなりませんでしたが、今となっては懐かしく思えます。

 一度おばあちゃんがお客さんと話しているのを聞きましたが、おばあちゃん曰く「筑女(筑紫女学園)の栄養科を出た」というので、家庭料理っぽいメニューの質の高さがうなづけます。

 HANAMARU厨房は何年か前、ポップで目立つ雰囲気に改装したのに、河同様長らく閉まったまんまだったので、「いつ再開するんだろう」「もしかしてもう開かないかも」と心配してましたが、悪い予感が当たってしまいました。ネット情報でそれっぽいことが書かれていたのを見つけた後、食べログに「閉店」の二文字を発見、とどめを刺されました。

 こちらは、貼り紙も無く、閉店の理由がわかりませんが、いずれにしても私の行くカレー屋(あえてそう呼びます)が一つなくなったわけです。

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 にしても、(前も書いた気もしますが、)カレー屋さんは、ほんとに無くなるばかりです。飲食業界は生存競争が厳しいので、評判の良くないお店がそうなるのはまだわかりますが、すごく繁盛して常連さんも沢山ついてたお店もほとんど続きません。

 私が好きだった福岡のカレー店を思いつくまま挙げてみると、

「K.サムソン」(福岡市中央区天神ビル地下)・・粘り気のある独特のルー、悶絶必至の「W死に辛」まである辛さのバリエーション、金属の平たい缶にはいったレーズンライスの食べ放題などオリジナリティにあふれてました。質量ともに若い胃袋を幸福で満たしました。

「アングロ」(福岡市中央区渡辺通りサンセルコ地下)・・おうちのカレーを洗練させたような味(わかりにくいか)。嘘かまことか「市販のルーを数種混ぜて変化をつけている」と聞いたことがあります。会社の先輩の知人が営んでましたが、突然いなくなってしまいました

「湖月」(博多区中洲大洋劇場近く)・・ここも黄色っぽくドロっとした「THE ニッポン」なカレー。甘みとコクのある親しみやすい味で特にカツカレーがたまんなくて、営業の途中「3時のおやつ」に、かきこんだりしてました。あれも独特だったなあ。大体激辛なカレーの好きな私ですが、湖月のカレーだけは甘くても全然許せる「別格」でした

「天竺」(渡辺通り電気ビル近く)・・ごはんに合うタイプの黒っぽいインドカレーで、わずかな苦みがコクを引き立ててました。いかにも「孤高のカレー屋店主」って感じの物静かな男性が黙々とやってました。どのカレーも500円前後で食べられ、近くの予備校生もよく見かけました。

「シェフ」(福岡市博多区寿町、今ケバブの店になってます)・・・サラっとした黄色っぽい、ここも独特の味わいでスパイシー。夜遅くまでやっていて、土曜の夜とか家族で行ってました。メニューが豊富なので、それぞれ好きなものを頼み、満足しました。私はサクっとしたポークカツ(とんかつじゃないところが店主のこだわりか)カレーが大好きでした。急に店を閉めて驚いていたらしばらくして福大の近くに再オープン。しばらく続いたんですが、またいつの間にかなくなってました。店主さん、体調があまり良くないと言われてましたので、そのせいかもしれません。

「ながた」(福岡市中央区天神、ジュンク堂のあったあたり)・・焼きとり屋さんですが、昼はカレー単品で勝負されてました。市販のルーでなく、カレー粉と小麦粉で作るタイプ。まあ、自分でも作れないことないレベルではありましたが、値段も安く食べ慣れてるので、ちょいちょい通いました。お客さんとの言い争いも辞さない偏屈な親父さんも今は懐かしいです。

「???(名前忘れました)」(渡辺通り城南線近く)・・中年の女性二人が、カレーにしては夜遅くまでやっているお店でした。昔は飲んだあと無性に腹が減り、わざわざこの店に食べに行ったものです。ここもけっこう辛くしてくれました。

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 他にもありましたが、とにかくカレー屋さんはずっと続かない。続いて欲しいのに姿を消してしまう。移転で遠くに行ってしまったのは、「春日ロッジ」(春日市→筑前町)、「タージ」(福岡市中央区親不孝通り→大川市)など。それぞれ一回ずつ行きましたが、遠いもんねえ。

 それから、私がいまだに「今まで食ったカツカレーで一番うまい」と思ってるのが、「トレイン」という喫茶店のカツカレー。福岡市中央区渡辺通りにありました。実は博多駅方面に移転したチャンポン、皿うどんで有名な「ぴかいち」と店舗がつながっていて、親戚の女性がやってました。また、ぴかいちで出してもらえないかなあ。

 さて、悔やんでもしょうがない閉店カレー店のことを書いてきましたが、時々「あの〇〇の味が復刻」ということで、別の方が名店の味を再現したという話が飛び込んできます。私の知る限り2回(2店)ありました。

 それぞれ「どれどれ」とお店を探して行き、「復刻版」を味わってみました。

 結論からいえば、”わたし的には” 2回とも「似ても似つかない」味でした。

 けしてマズイわけではない、どころか大変おいしいのですが、少なくとも「あの」懐かしい味では全然ありません。自慢するわけではありませんが、自分「舌の記憶力」だけには自信があります。

 失ったものは取り戻せないのでしょう。昔の味を求めることが難しいなら、新しいカレーに新たなたのしみを見出していくしかないのかもしれません。なにせ、福岡は過去を振り切ることの出来る「上書きのまち」ですから。

※この記事内容は公開日時点での情報です。

著者情報

米国の本家と同い年のシニアブロガー。毎晩長いときは30分に及ぶ歯磨きを欠かさない。最近覚えたメルカリへの出品にはまっている。
17年乗った作業用の軽トラックをカッコいいカーキ色の新車に買い替えた。

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