明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」終了時に多くの方からいただいた「続きが読みたい」の声にお応えした第2シリーズ。
小学一年生の夏、祖母と少し遠くのお稲荷さんに詣でた。
蝉時雨の中、左右に立っている石の狐をじっと見ていると後ろから祖母の声がした。
「お狐さんは神様の使いだから、そこにいるのよ」
「なんだか顔が怖いや」
「神様やその眷属(けんぞく)は敬わないといけないから、その姿を少し怖くしたのかもしれないね」
お参りを済ませた後、バスが来るのを停留所で待っていた。
次のバスまで時間があったので祖母は近くの駄菓子屋でアイスキャンディーを買ってきてくれた。
二人並んでベンチに座ってかじっていると、祖母が言った。
「私のお父さんに聞いた話、聞くかい?」
「聞く聞く! すぐ話して!」
「まあまあ。アイスを食べ終わってからね」
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時は明治の中頃、祖母の父は仕事で長野県に出かけた。
用事が思ったより早くに済んだので、現地の友人の宮司と焼鳥屋に繰り出した。
話に花が咲きかなり酒も進み夜も更けた頃、血相を変えた若い男が飛び込んで来た。
男は店内を見回すと竹串をつかみ、外へ飛び出した。
明らかに様子がおかしいと感じた二人は後を追った。
男は近くの橋のたもとに座り込んでいた。
近づいてみると串を自分の耳に突き立てようとしている!
あわてて二人は串を取り上げたが、左の耳はもう突き刺した後だった。
男はかなり泥酔しているようだった。
とりあえず宮司の知り合いの医者の戸を叩き、男を担ぎ込んだ。
「取ってくれ! 取ってくれ!」
左耳の手当をしている間じゅう男はこう叫び続けたが、ぱたりと気を失った。
一刻(二時間)ほどして男の目が覚めた。
訳を聞いても「どうせ信じてはもらえない」と頑として言わない。
友人の「儂(わし)は宮司でいろんな不思議を見たり聞いたりしてきたから何とかできるかもしれん。聞かせてみい」と言う言葉にやっと重い口を開いた。
「ある宿で一緒になった凄く痩せた老人が、そこの娘を相手にいろんな手妻(手品)をやってみせたんです。離れた所にあるものを目の前に取り出したり、思っている事をずばり当てたり…それは見事なもので、見ていた者は感心するばかりでした。私は元来手妻好きだったもので、どうしても教えてほしいと思い老人の部屋を訪ねたのです。話を聞いた老人は難しい顔をし『絶対に後悔するから止めておきなされ』と反対しました」
「それで?」
「絶対に後悔はしないからぜひお願いしますと頭を畳に擦り付けていると嘆息(ためいき)が聞こえ、頭を上げるよう言われました。『これはな、手妻ではなく不思議な力を持つものを身につけ、それにいろんなことをやってもらっておるのじゃ。慣らすには大変な苦労が要るがそれでもやりますかな?』と尋ねられたのですが、どうせ脅しだろうと聞き流し、ぜひお願いしますと答えました」
「それから?」
「老人はこの部屋で寝ろと言いました。寝ているうちに“それ”を移すからと。私はその通りにしました。翌朝目を開けると老人はいませんでした。宿の者に聞くと早くに発ったとのことでした」
「それで不思議な業が使えるように?」
「家に帰ってから妙な事が起きるようになりました。見た事もない人形や手拭い、財布までが部屋の中に転がっているのです。これは困ったことになったと全部駐在所に届けましたが、毎日毎日なのでさすがに変な目で見られるようになりまして…一箇所に居られず、あちこち転々としていました」
「それは困りましたな」
「もっと酷いことになりました。声が聞こえるようになったんです、頭の中から。大半は意味のない赤子の泣き声みたいなんですが、時々男の声で笑うんです。最初は月に数回だったのが今では四六時中聞こえるようになり気が狂いそうで…思いあまって耳を潰そうとしたところでした」
それを聞いた宮司が口を開いた。
「気の毒にのう。儂がそれを落としてみようと思うがどうじゃ?」
「これが落ちるなら何でもやります! お願いします!」
宮司はうなずくと父に顎紐のついた笠を調達してくるよう頼んだ。
宿を出ると三人は少し離れた山中の池に向かった。
池に着くと宮司は男に笠を被らせるとこう言った。
「このまま池の中に入って行きなさい。そして顔まで水に浸かると笠が重くなる時がくる。そうしたら静かに顎紐を解き笠を流しなさい」
半信半疑ながら男はじわりじわりと池に入って行った。
しばらくすると姿は見えなくなり、笠だけが水面に浮かんだ。
水中に姿を消した男は岸近くにぷかりと浮かび上がると笑顔を見せた。
「消えた! 消えました! あの声も、あの気配も! ありがとうございます」
「そりゃ良かったのう。儂もひと安心じゃ」
さっぱり訳が分からなかった父は男と別れた帰り道、宮司に一体どういう事かと尋ねた。
「あの男にはな“管狐(くだぎつね)”が憑いておったんじゃよ。本当は何と言うのか、正体は何なのかは分からんがな。上手に使役すれば便利にも使えると言うが…まあ普通の人間では無理じゃろう。それを落としてやったのよ。水に入ると苦しがって上に上に逃げるじゃろ? 笠に登らせて流せばもう何も心配はないわい」
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「なんだか少し寒くなったよ」
「そうかい? あ、バスが来たよ」
いつの間にか蝉の声も消えていた。
祖母は立ち上がるともう一度お稲荷さんの方に一礼したので真似して頭を下げた。
チョコ太郎より
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