妊娠中の妻が搬送され入院! 夫目線で伝える妊娠・出産の過酷さとは

わが家の長男は1カ月近い早産でした。妻は妊娠後期、入退院を繰り返し帝王切開で息子を産みましたが、妊娠は命がけと思えるほど壮絶な経験だったのです。夫として何かできることはないか考え奮闘したエピソードをお伝えします。

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妻の妊娠が発覚

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 ある日の仕事帰り妻から報告があると言われました。なにかと思って身構えていると「妊娠したかも」と満面の笑み。陽性の検査薬を見て夫婦大喜び&大騒ぎ。2週間後にはエコー写真で赤ちゃんを見ることができ、「父になるのか~」と感慨深い気持ちになりました。

 月日は経ち妊娠7カ月頃。何事もなく順調に育ってきている、そんな安心感からか電車に乗り遅れまいと走ってしまった妻に激痛が。その場から身動きがとれなくなり病院へ搬送されました。

 幸いにも大事には至らなかったようで、1週間の入院・点滴をして様子をみることに。病院から妻が搬送されたと聞いたとき、私は血の気が引くのがわかるくらい心配したのを覚えています。

 入院生活中、日に日に体調が悪くなる妻。24時間点滴をし、副作用で腕は腫れあがり、痛みで寝返りもできないほどだったと聞きました。

 なにか気晴らしになればと私は妻の好きなお菓子を差し入れましたが、血圧が高くなるという理由で病院側が拒否。寝ているだけの日々と帰れないストレスで妻は胃腸炎になる妻、結局退院できたのは入院してから1カ月が過ぎたころでした。

男の無力さを痛感、父になろうと変えた日常

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 同じ親になるはずが、苦しむのは妻ばかりで本当に男の無力さを感じました。
 唯一できたのが夜中の電話くらいで、少しでも元気づけようと言葉を探しながら励ましていると、妻から
 「お腹に話しかけるとドンドコと動いて反応してくれる」と嬉しそうな声を聞くことができ、お腹の中からママを励ましてくれていたのかな? なんてまだ生まれてない息子の方が妻を支えていたような気がします。

 これではいけないと奮起した私は、妻に頼らず「出産準備」を始めようと行動に移しました。「生まれた後の手続き」や「お金のこと」、「妻の退院後の食事(塩分控えめ)」などを調べてまとめ、普段適当だった洗濯・掃除についても、育児に向けて学び直し実践しました。

 本当に手探りで忙しさもありましたが、父親としての役割を感じられ充実していました。

 その準備の甲斐あってか、退院後の妻はほぼ寝たきりを守り、絶対安静で生活することができました。点滴がない、ふわふわなベッドで寝られる喜びと幸せを噛みしめて、二度と入院はご免だというばかりに安静を徹底しておりました。

夫として、父親としてできることとは

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 安静に過ごし、いよいよ予定日の1カ月前を迎えた頃、妻が
 「お腹が張っている気がする…」と念のため病院に行ったところ、その場で再入院を宣告されました。

 先生からは
 「急な帝王切開になるかもしれない」と言われ、私は若干パニックになりながら
 「お腹の子がまずい状況ということでしょうか?」と尋ねると、先生からは
 「どちらかというと赤ちゃんの成長に母体が耐えられなくなってきている」と聞かされました。

 妻は妊娠高血圧症候群(いわゆる妊娠中毒症)と呼ばれる状態で、赤ちゃんがお腹にいることがストレスとなり、血圧が異常に上がってしまう危険な状況でした。最後の最後でこのような状況になるとは、出産というのは何が起きるかわからない、そしてまたもや男にはなにもできないと無力さを感じてしまいました。

 最終的には再入院の3日後に帝王切開で息子が産まれました。
 妻は手術後の痛みが酷くて2~3日の間、終わりのこない苦しさに気を失いかける場面もあったと言っていました。ただ、赤ちゃんを抱いて、また出産を終えた妻に宛てた私からの手紙を読んで、『生きなければ』と頭で反芻し耐えられたと言ってくれました。

 なにかできることはないか。唯一できることが感謝を伝えること。そう思いしたためた手紙が妻の気持ちを繋げたと聞いて、少しだけ貢献ができたのかな? と嬉しくなりました。

 世の中の男性には妊娠を甘く見ている方もいるかもしれません。ただ、生まれてくる子の“両親”になるためには父親の力も必要だと、私は心から思っています。
 父となる方には後悔しない行動をとっていただけると嬉しいです。

(ファンファン福岡公式ライター/月が好き)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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