ラーメン屋のせがれ【第4回】~松鶴家千とせさんを偲ぶ~

 こんにちは。3年ちょっと前までラーメン屋のせがれだった久留仁譲二です。

 「ラーメン屋のせがれ」シリーズ、前回から両親の店が経営不振に陥った辛気くさい話になっていますが、店にわずかながら関わりのあった方の訃報を受けて、今回はそれにまつわる話を書きます。

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松鶴家ちとせさん 旅立つ

 今月17日に亡くなられたのは、漫談家の松鶴家千とせ(しょかくや・ちとせ)さんです。現在60歳の私が高校生の頃に♪シャバダバシャバダバ唄うジャズ風のスキャットと「わかるかなあ、わっかんねえだろうなあ」というセリフで人気を博しました。知りませんでしたが、あの「ツービート」の名づけ親だというネット記事も見かけました。画像は著作権に引っかかったらいけないので、写真を見て私が手描きしました。アフロヘアーとあごひげ、タキシードがトレードマーク。イギリスのロックバンド「ELO」のリーダー、ジェフ・リンに似てるといえば似てます。

ジェフ・リンのソロアルバムジャケット写真をスマホで撮影

 ちょっと違いますかね。

突然の「ピースサイン」来店

 話が逸れました。なぜ千とせ師匠のことを書いているかというと、人気絶頂の頃に父母のラーメン屋を訪れたことがあったからです。来店といっても、食べに寄られたわけではありません。営業中のある日突然、店のガラス戸を開けて、「イェーイ」と、先ほどの絵のようなピースサインをしながら入って来られたそうです。父がキョトンとしていると、しばし気まずい沈黙。

 どうやら、近くの別のお店にロケで来られていて、間違ってうちに入ったんですね。バツの悪そうな表情で、「こりゃまた失礼しました」と植木等さんのように立ち去って行ったそうです。

 お元気だった千とせさんも、84歳で鬼籍に入られました。ご冥福をお祈り申し上げます。

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 うちのラーメン屋に芸能人など有名な人が来たという話はほとんど聞きません。テレビなどのマスコミで取り上げられたこともまずありません。

 うちの父、年老いた今はさすがに穏やかになりましたが、以前はけっこう頑固で怒りっぽく、不機嫌になると取りつく島がありませんでした。そんな精神状態のときに、ラジオのおねえさんが「スナッピー号」という車で地元のあちこちに取材に行く番組企画の方から店にお電話があり、「うかがっていいですか?」とていねいに聞かれたのに、「来んでいい」とにべもなく断ったことがありました。

 スナッピーさん、その節は大変失礼しました。せっかくのご厚意を無にして申し訳ございませんでした。父になり代わりお詫び申し上げます。遅いか・・・。

デビュー前の女性歌手は常連さん

 店に来てた当時は高校生で、後に歌手になった方はいます。1979年に日本レコード大賞最優秀新人賞を獲った桑江知子さんです。沖縄生まれのようですが、店に来てた頃、ご実家は福岡市西区で金魚屋さんを営んでいたと父が言ってました(不確かな記憶なので間違いだったらご容赦下さい)。親御さんもお店のお客さんでした。桑江さんは制服で来店し、食べた後私服に着替えてまちに遊びに行ってたみたいです。

 受賞当時のレコード大賞は現在とはくらべものにならないくらい視聴率も高く、賞の重みもすごかったように思います。受賞曲「私のハートはストップモーション」は今聴いても新鮮、おしゃれな曲で、昔の日本のシティポップが国内外で再評価されている昨今、また人気が出ても良い曲だと思います。

 ということで、有名人もメディア取材もほとんど縁のなかったラーメン屋がうちです。父親のある意味「愛想の無さ」が店の繁盛の妨げになったわけでもないと思いますが。

 間違って来られた千とせさん以外では、一、二度、ドラマのロケの途中で俳優とスタッフさんご一行がラーメンを召し上がって行ったこともあったようですが、それが誰だったかは不明です。裕次郎さんや渡哲也さんでないことは確かです。

 次回以降また、店の苦境の話を少々続けます。

(つづく)

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ラーメン屋のせがれ【第3回】~開店効果薄れ、苦境に陥る~  前回、両親が福岡でとんこつラーメンの店を開業し、当初は繁盛したことを書きました。「当初は」と書いたのは、しばらくして店の経営が苦しくなったからです。

※この記事内容は公開日時点での情報です。

著者情報

米国の本家と同い年のシニアブロガー。毎晩長いときは30分に及ぶ歯磨きを欠かさない。最近覚えたメルカリへの出品にはまっている。
17年乗った作業用の軽トラックをカッコいいカーキ色の新車に買い替えた。

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