初産で双子を出産し、余裕のない私を実の親以上に支えてくれた義母。感謝してもしきれないはずなのに、自分より義母に懐いているわが子を見ているうちに嫉妬に近い感情が… 今では笑い話ですが、私には母親としての自信を無くし、自暴自棄になった時期がありました。
手伝いに来る義母
「私は家事は得意じゃないから手伝ってあげられないけど、子ども達ならいつでも見てあげるわよ。」私たち家族の家からバスで5分程の距離に住んでいる義母は、そう言ってしょっちゅうわが家に来てくれていました。
義母が来ると、溜まっていた家事を片付けることができるので部屋が綺麗になるほか、きちんとした食事を作ることができるため主人も喜んでいました。
ところが母乳の出が悪かったので粉ミルクを使っていたところ、
「粉ミルクなら私でもあげられるから」と、私はミルクを調合するだけで、子どもに与えるのは義母の役目。いつも裏方の仕事ばかりで、気がつけば母親らしいことはあまりしていません。
そして双子のうちのひとりから初めての言葉「バーバ」を聞いた時、私は「母親失格だ」と落ち込み、義母に嫉妬し、子どもを憎らしく思うようになりました。
久しぶりの長い自由時間
双子が1歳の誕生日を迎えた頃です。
「子ども達は見ていてあげるから、たまには友達と遊んできたら?」思わぬ義母の言葉に最初は驚きましたが、友達とはしばらく疎遠になっていたし、子どもが自分に懐いていないことを逆手にとってポジティブに変換するチャンスだと思いました。主人も
「遠方の友達なら泊まってきてもいいよ」と背中を押してくれています。
通常、この時期の子どもは母親の姿が見えなくなると不安になり母親の「後追い」をするので、トイレにすら行けないママもいるほど。外泊なんてもってのほかです。
「久しぶりに友達とリフレッシュしたら、義母への嫉妬心など消えてしまうかも」と、有り難く提案を受け入れることにしました。
子ども達の耳には届かない「ただいま」
友人とお酒を飲みながら積もる話に花を咲かせ、義母への嫉妬の感情は感謝に変換し、すっかりリフレッシュをして、いよいよ帰宅。玄関の扉を開けたら子ども達が駆け寄って迎えてくれることを期待して、家の鍵は持っていたのですがドキドキしながら玄関のチャイムを鳴らしました。
反応が無いので再びチャイムを鳴らすと、主人が面倒くさそうに扉を開け、ボソッと
「もう、鍵持ってるんだから自分で入って来てよ」と文句を言ったかと思うと、そそくさと中に入っていきました。
「ただいま帰りました~!」ソファーに座ってテレビを観ていた義母と子ども達に向かって言うと、義母は
「お帰りなさい~!」と笑顔で迎えてくれましたが、その両隣に座っていた子ども達は見向きもしません。
義母は子ども達に向かって
「あれ、誰か帰ってきたよ! 誰かな? ママだよ!」と、言ってくれたのですが、子ども達はテレビに夢中で私を見ようともしません。義母は私に同情の視線を送ってきました。
「こんなんだったらもう1泊してくればよかったな~」と、強がって言ってしまった私。
「あら、そうしても良かったのに」と、義母はおそらく好意で言ってくれたのですが…。その言葉は私の脳内で次のように変換されました。
「あんたなんていなくても誰も困らないわよ」義母と夫が夫婦で、双子の親。そして私はその家族のお世話をする家政婦でしかないんだ…。そう思うと悲しくて虚しい気持ちになりました。
当時を振り返って
しばらく「私は必要ないのでは…」という虚無感に駆られる日々が続きましたが、子ども達の成長と共に私も成長したようで、「いつかママの大切さに気がついてくれるはず」と考えられるようになりました。そして子ども達も視野が広がると、生活の中に「ママ」という存在が常にある事を認識し出します。
子どもが4歳になった今、あの頃の自分に言ってあげたいことがあります。
「初めての言葉がママじゃなくても、後追いしてくれなくても、いま関心を向けてくれなくても、そのうち必ずママのことが大好きになるよ」そしてもうひとつ。
「部屋が散らかっててもいい、大人の食事なんて適当でいい。もっとたくさん育児を楽しんで!」
(ファンファン福岡公式ライター/あそうママ)