明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた「祖母が語った不思議な話」。連載終了時に多くの方からいただいた「続きが読みたい」の声にお応えした第2シリーズです。
小学二年生のある日曜日。
「どうかしたの?」
浮かない顔をしているのに気付き、祖母が聞いてきた。
「明日、学校で注射があるんだ…予防接種の」
「注射ね…嫌かい?」
「嫌だよ! 去年も痛かったし」
しばらく沈黙した後、祖母が言った。
「気晴らしにお父さんから聞いた話をしてあげよう」
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祖母の父が若い頃、仕事で数日間瀬戸内地方を巡っていた。
暑い暑い、夏真っ盛りだった。
三日目の夕方O県に入り、宿場町を歩いていると歌声が降ってきた。
見上げると宿屋の二階に座っている女だった。
声も姿も美しく思わず見とれていると女は気付き、にこりと笑いながら手招きをした。
宿を探していたのでちょうどよいと、父は暖簾(のれん)をくぐった。
旅籠の女中に案内されたのは二階、女がいた隣の部屋だった。
鴨居をくぐって中に入ると天井は低いが歴史を感じさせる立派な部屋だった。
「隣に泊まっているのは誰だい? めっぽう歌が上手かったが」
「え? 歌ですか? 二階には他にお泊まりのお客さんはおられませんよ」
そう言うと女中は他の部屋を見せてくれた。
たしかにどの部屋も空だった。
狐につままれたような気がしたが、思いのほか美味しい夕食をたいらげた頃には忘れていた。
「?」
真夜中に何かの気配を感じて目が覚めた。
隣の部屋から昼間聞いたあの歌が流れてくる。
やはりいるのか?
音がしないように静かに廊下に出た。
明らかに歌声は隣の部屋から聞こえる。
「へくしょ!」
息をころして廊下を進もうとした刹那、くしゃみが出た。
隣りの部屋の襖がゆっくり開き、白い塊がふわふわと向かってくる。
「うわ!」
慌てて部屋に戻ろうとし、鴨居にしたたかに頭を打ち付けた。
あまりの痛さに怖さも忘れ、その場にしゃがみ込んだ。
しばらくして痛みが薄れたときには白い塊は跡形もなく歌も聞こえなくなっていた。
翌朝、宿賃を支払うときに夕べの出来事を話すと女将は驚いた風もなく、こう聞いてきた。
「お客さん、厄年じゃないかね?」
「うむ。数えで二十五になる。それが?」
「安心してくださいよ。夕べの出来事で厄は済みました」
「厄が済んだ? 祓われたではなく?」
「はい。厄年のお客さんが泊まられるとちょっとした不思議が起こることがあるんです。どんな不思議かはその時々で違い、それに遭った人は小さい怪我をしますがそれで厄が済むんですよ。お客さん、運が良いですね」
女将の言葉の通り、父は何事もなく厄年を終えた。
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「小さな災いで大きな厄を受けないで済む…予防接種も同じだよ」
「うん。注射嫌じゃなくなった」
そして翌日受けた注射は…やっぱり痛かった。
チョコ太郎より
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