初めての一人暮らしで焼きサンマに挑戦! 上手に焼けたと思った瞬間、まさかの展開に

一人暮らしを始めた18歳の私が初めて挑戦した焼きサンマ。香ばしい匂いに期待を膨らませた矢先、まさかの事件が勃発しました。 その一部始終と、転んでもただでは起きなかった私の奮闘記です。

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初めての焼きサンマに挑戦

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 進学のため、地元を離れて一人暮らしを始めた18歳の私。それまで家事は母に任せっきりで、自分ではほとんどしたことがありませんでした。

 掃除も洗濯も、もちろん料理も初めて。特に料理は難しく、いつも母に電話で聞きながら、なんとか生活をしていました。そんなある日、私はふと気づきました。「あっ、魚を全然食べてない…」

 その頃の私の料理といえば肉や野菜を焼くだけの簡単なメニューや、カレーやシチューなどの鍋料理。母から聞いたレシピノートにも、魚料理はひとつもありませんでした。

 「魚って、塩を振って焼くだけだよね。簡単、簡単」そう思った私でしたが、ひとつ大きな問題があることに気づきました。わが家のコンロには、いわゆる「魚焼きグリル」が付いていなかったのです。

脂が炎を呼ぶ! サンマファイヤー事件発生

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 「焼き魚が食べたいのに、グリルがないから食べられない…」がっかりしながらもあきらめきれない私は、スーパーのお魚コーナーをウロウロ。

 そこで、運命の出会いが訪れました。お魚コーナーの片隅でさりげなく売られていた「魚焼き網」というアイテムです。2枚セットになっている網をパカッと開き、その間に魚を挟んでコンロで炙るだけで、簡単に魚が焼き上がるという優れものです!

 早速サンマと焼き網を買って、ルンルンで帰宅した私。サンマを洗って塩を振って網に挟み、いよいよ焼き始めます。目の前には、ジュウジュウと音を立てながら焼けるサンマ。漂う香ばしい匂いに、早くも食欲がそそられてきます。

 しかし、幸せなひとときは束の間… まさかの展開が私を待ち受けていました。目の前のサンマを包むように、真っ赤な炎がメラメラと立ち上ったのです!!

 「うぎゃぁぁぁ!!」思わず叫び声を上げ、マッハのスピードでコンロから飛び退く私。頭の中はもう、はてなマークだらけ。
 「えっ、何? これどういうこと!? なんで!?」

恐怖の炎が教えてくれたこと

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 火を前に、恐怖とパニックで頭が真っ白。火を弱めることもできず、遠巻きに眺めるしかありません。炎が収まった頃、そこには脂が落ち切った、真っ黒に焼け焦げたサンマだけが残っていました…。

 無事だったという安心感で泣きそうになりながらも、焦げた部分を必死ではぎ取り、なんとかサンマを味わいました。心なしか、少ししょっぱい味だった記憶があります。

 あとから知ったことですが、サンマは脂が非常に多いため、直火で焼くとその脂がガス火に滴り落ちて次々と炎を呼びやすいのだとか。
 「なるほど、そういうことだったのか!」と納得する一方で、あの時の壮絶な炎の記憶がよみがえり、恐怖に震えました。

 今思えば、あの炎はそれほど大きくなかったのかもしれません。ですが、料理初心者の私にとっては、それがもう大火事にしか見えなかったのです。サンマを家の中で直火焼きするのはご法度だと思い知った私でした。

すべてを込めた「Fire!!!!」

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 数日後、大学の英語の授業で「My Daily Life(私の生活)」がテーマのスピーチ課題が出ました。私が真っ先に思いついたのは、もちろんあのサンマとの格闘でした。

 身振り手振りを交えながら、サンマと網を買った経緯を英語で語り、いよいよクライマックス! 私が驚愕の表情とともに大声で
 「Fire(ファイヤー)!!!!」と叫ぶと、教室中が爆笑に包まれました。アメリカ人のティーチャーも悶絶しています。

 「やった! ひと笑いゲット!」サンマがファイヤーしたおかげで、スピーチの題材がすぐ決まり、ついでに爆笑も取ることができて大満足。転んでもただでは起きなかった私です。

 あのサンマ事件からうん十年。息子が同じように大学進学で一人暮らしを始めましたが、迷わずグリル付きのコンロを購入したことは言うまでもありません。

(ファンファン福岡公式ライター/minto)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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