福岡市西部の埋め立て地・シーサイドももち地区で1989年、市制100年を記念し「アジア太平洋博覧会」(よかトピア)が開かれました。そのアクセス道路として整備されたのが、一帯を東西に走る「よかトピア通り」です。かつてこの辺りは海辺で、海水浴場としてにぎわいました。
人気の海水浴場 往時伝える碑も
「よかトピア通り」は、福岡市中央区の福浜団地入口交差点から、同市早良区の室見川東川岸までの2.7km。正式な路線名は市道港福浜線・市道唐人町豊浜線です。89年に開かれた「アジア太平洋博覧会」(よかトピア)に伴い整備され、同年の市制100年を記念する道路愛称事業で、この名が付きました。
もともとこの辺りは海辺で、海水浴の人気スポットでした。18年7月7日付の福岡日日新聞(西日本新聞の前身)朝刊は、「百道海水浴場」のオープンを大きく報じ、浅橋を挟んで「右を男子浴場」「左は女子浴場」と伝えています。戦後も海水浴場として親しまれ、59年7月26日付の西日本新聞夕刊には大勢の人が楽しむ様子が紹介されています。
現在、よかトピア通りのそばには「百道海水浴場跡」の碑が設置されており、往時の様子を知ることができます。
80年代に埋め立て アジア太平洋博も
福岡市博物館市史編さん室のサイトによると、この辺りは水上飛行機の発着場の候補地になったこともあるそうです。24年4月12日付の福岡日日新聞は、水上飛行機が「二機百道に着く」と報じ、その後、試験飛行が行われていたようですが結局、発着場は現・同市中央区港地区に造られ9月に移転。“百道飛行場”の稼働はわずか数カ月でした(港地区の水上飛行場については、今年6月9日付「通り物語vol.4 昭和通り編」で紹介しています)。 一帯は80年代に埋め立てられ、シーサイドももち地区が誕生。89年3~9月に開かれたアジア太平洋博覧会には、約823万人が訪れました。
現在、プロ野球チーム、ソフトバンクホークスの本拠地ヤフオクドームをはじめ多彩な施設が集積し、にぎわう同地区。よかトピア通りはメインストリートとして、人々の往来を後押ししています。
◆~ちょっと寄り道~近くの通り散策◆ 「黒門川通り」
よかトピア通りと東端で接するのが「黒門川通り」です。この下には、近くの「大濠公園」の池の排水機能を果たしている黒門川が流れていて、1980年代に地下水路化されました。 黒門川の途中にはかつて流れをせき止め、魚を生け捕りにする仕掛けをした「簗所(やなしょ)」があり、江戸時代には漁が行われていたそうです。 通りの中ほどには、カッパのかわいい親子像「せせらぎがっぱ」も。地域に伝わる酒好きカッパの物語がモチーフになっているといいます。通り沿いには、地域の名所を紹介する説明板が設置されています。
「マリナ通り」
よかトピア通りの西方を走るのが「マリナ通り」。95年に福岡市で開かれた「ユニバーシアード福岡大会」の関連道路として整備され、ヨットハーバーなどのマリン施設や「マリナ」という名称の施設が近辺にあることから、この名が付きました。
企画・制作/西日本新聞社メディアビジネス局
【福博今昔通り物語】vol.7 けやき通り編~地域の力で景観守る