息子は、対人関係が困難で物事に対して強いこだわりを持ってしまう「広汎性発達障害」です。そのことで小学校側とはいろいろな摩擦がありました。けれど中学校に入ると…。その時の経験を話します。
小学校で息子は孤立
息子が小学生の頃。先生が「○○しましょう」と呼び掛けた指示が理解できないことが多く、そのために全体の流れを止めてしまったり、同じ班の子に迷惑をかけてしまったりすることがよくありました。
担任の先生に指摘され、2~4年生の間に何度か発達障害の検査をしました。しかし、できることとできないことの差が激しいという結果は出るものの、
「今すぐに特別支援が必要な状況ではない」と言われるばかり。
息子はおっとりした性格で他害行為はないのですが、みんなと同じペースでできることが少ないので、どうしても周囲の足を引っ張ってしまうのです。活発なタイプのクラスメイトをイライラさせることがよくあり、低学年の頃は仲が良かった友達も、少しずつ息子から距離を置くようになりました。
私の心も限界に…
5、6年生の時は、担任の先生が厳しいタイプで、保護者会で
「みんなの足を引っ張るお子さんがいます」と言われたり、
「今日もまたお宅のお子さんが足を引っ張りました」と毎日のように自宅に電話が掛かってきたりしました。
迷惑をかけているのは事実なので、こちらとしては毎日宿題を見る、忘れ物をしないように一緒にチェックするなどの方法で息子を精一杯サポートしつつ、
「申し訳ありません」と謝るしかできませんでした。
息子を否定することばかり言われ続けていると、私の心も限界に。言い返せば息子の立場がもっと悪くなる… と思って我慢しましたが、卒業を迎える頃には、精神的に追い詰められたような状態でした。
中学で理解ある先生に出会って状況は一変!
不安を抱えたままの状態で、息子は地元の公立中学校に進学しました。案の定、クラスに友達ができず授業についていけずにつらそうにしていました。
しかし、そんな様子に気付いた担任の先生が、校長先生に相談。
「その子に合ったやり方を考える必要がある」ということになり、まず職員会議を開いて各教科の先生に息子の状態を説明してくれました。そして私たちには、特別支援教育担当の先生との面談を設けてくれました。
その後、数回の面談を経て
「支援が必要なので特別支援学級に変えましょう」という結論に達しました。また、改めて病院に連れて行ったところ「広汎性発達障害」とはっきりとした診断も出ました。
「みんなと同じでなくてはならない」から解放された
先生方の理解と働きかけのおかげで、息子は2年生からは特別支援学級で過ごすことになりました。まさかこんな展開が待っているとは思っていなかったので、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
高校は、特別支援学校に進学しました。特別支援学級や特別支援学校では、一人ひとりの学力や心の状態を考えて適切な対応をしてくれます。例えば、苦手な教科は小学校の範囲から教えてくれたり、精神的な疲労で動けない時は、その気持ちに寄り添ってくれたりします。もちろん、身だしなみや言葉遣いは指導されるし、やるべき課題をなまけてはいけません。
「みんなと同じでなくてはならない」という状況から解放されただけで、どんなに助かったことでしょう。小学生の頃はいつも下を向いて小さくなっていた息子が本来の明るさを取り戻し、伸び伸びと学校生活を送っている姿を見て、家族もうれしく思いました。
小学校の先生が間違っていたとは思えないし、申し訳ない気持ちもあります。自分自身にも、もっとできることがあったのではないかとも思います。後悔は尽きませんが、息子の将来が少しでも明るいものになるよう、これからも親子で頑張っていきたいと思います。
(ファンファン福岡公式ライター/牧野ゆか)