わが家は子ども二人が乳幼児時代に、東南アジアで4年間駐在生活を送りました。当時は一般的な駐在員家庭でも「お手伝いさん」を雇用しているケースが主流でした。何もかも自分でやる前提の日本とは社会システムが違う国での、なくてはならない存在のようでした。わが家もその慣習に倣ってお手伝いさんを雇用することにしたものの、その道のりは山あり谷ありで…
人生初の「お手伝いさん」との同居生活

アジア特有の広い家の中で、乳飲み子を抱えて私がワンオペ生活をこなす自信が湧いてこず、迷った末にわが家も「お手伝いさん」を雇用することにしました。
しかし、あらゆるツテを使って採用活動を試みたものの中々マッチングが上手くいかず。それもそのはずで、仕事ぶりや人柄など問題がない人材は継続的に雇用される一方で、フリーの人材はやはり何かしらの問題を抱えているので出入りが激しい… そういうことのようでした。
着任して1年後、ようやく巡り合ったのがわが家の帰任までお世話になったお手伝いさんの「前髪さん」(現地名を和訳)でした。
同居生活は酸いも甘いも…

「前髪さん」は当時中学生の娘さんを故郷のご両親に預け、住み込みのお手伝いさんをしながら田舎に送金をしている女性でした。そして、日本料理・韓国料理・中華料理が得意で子守も得意だというのが彼女のセールスポイントでした。
実際に同居生活を始めてみると、彼女は明るく陽気な人で手間がかかる1歳児だった次男との相性も抜群に良かったことや、韓国風キンパ・日本風海苔巻きのどちらも作れたため子どもの学校のチャリティバザーの日本食提供の際には大助かりだったこともあり「ハッピー子連れ南国ライフwithお手伝いさん」ですっかり安定生活突入! と思っていました。
しかし実際には、噂では聞いていたご当地「物がなくなる問題withお手伝いさん」がわが家でも起きていました。
家に備蓄していたお米が5日で5キロのスピードでなくなっていたり、前日にスーパーで鶏肉を冷蔵庫いっぱいに買っていたのに翌日冷蔵庫を見たらほとんどなくなっていたり… 洋服や貴重品などの「物」がなくなることはわが家ではありませんでしたが、食料がなくなることはありました。まだ幼いわが子達がお世話になる人なので、破格待遇で迎えていた私としてはショッキングな出来事でした。
「手癖」に関しては雇用主が「気付くか、気付かないか」の違いが大きいようでした。現地の富裕層曰く「だから昔は、冷蔵庫や電話まで鍵付きだった」とのことでした…。
でもやっぱり必要な人で

しかしその一方で、「前髪さん」がわが家の次男に向けていた愛情は本物のようでした。
通っていたインターナショナルスクールのイベントの日に「親が役員活動で忙しくなる家庭は、子守対応のために使用人さんも連れて来て下さい」というお知らせが学校からあったため「前髪さん」にも同行してもらった日のこと。
「前髪さん」にとっては次男の成長はわが子同然のものだったのか、シャイな次男がステージで見せる初勇姿に彼女は涙を流しながら感激していました。その姿に気付いた私のママ友が
「あんな姿見ちゃったら、前髪さんはクビにはできないよね。あそこまで雇用主の子どもに入れ込んでくれる人はいないよ」とうふふと笑っていましたが、私も本当にそんな心境でした。
お手伝いさんは強い味方なのか?

それから次男は、親からだけでなく「前髪さん」をはじめ子ども好きな現地の人々にも大変可愛がってもらったおかげか、「愛情を目一杯かけられて育った、幸せなお子さんの雰囲気」と今でも言われています。
考えてみると慣れない外国で家族4人、しかも父親は仕事三昧で留守がちな最中、わが子達が寂しい思いをせず「ここが、自分が今生きていく土地だ」と幼いながらに現地に根を張った生活を送れたのは「前髪さん」の存在がやはり大きかったような気がします。
そう考えると、わが家にとってのお手伝いさんは「遠くの親戚より近くの他人」という風に考えても「最強の味方」でした。
(ファンファン福岡公式ライター/駐妻日記)


