子どもを連れていると、お店・保育園・学校などあらゆる場面で、他人から「おかあさん」「ママ」と呼ばれることが多いですよね。「○○くんのママ」って呼び名は、確かに間違いじゃない。でも、心のどこかで『私って何者なの?』とモヤモヤする…。そんな心の中のつぶやきです。
病院でのできごと
長男が生後3カ月のころ、小児科へ予防接種に行った時でした。その日はいつもより混んでいて、予約時間を過ぎても1時間近く待たされました。待合室では、ぐずる子や走り回る子どもたちをなだめようと、母たちはぐったりした様子。私もそのうちのひとりでした。
と、そこへ1歳くらいの女の子を抱いて、病院の受付へ駆け込む女性がいました。バッグから慌てて問診票や母子手帳などを出す女性に、受付の看護師さんから思わぬひとことが。
「○○ちゃんのおかあさん、予約時間から10分遅れてますよ!」50代半ばくらいで笑顔を見せない看護師さんの冷たい声が広い待合室に響き渡ると、待合室が一瞬しずかになり、いやーな空気になりました。その女性は申し訳なさそうにうつむいて、子どもを膝に乗せて、小さくなって隅の椅子に腰かけました。
そのセリフいる?
看護師さんに対して、ふつふつと込み上げるものが2つ。
ひとつ目は、女性が予約時間に遅れたことを、わざわざ周囲に聞こえるように言ったこと。(遅れてきたことを指摘したいのであれば、本人だけに聞こえるように言えばいいよね?)
ふたつ目は、女性を「〇〇ちゃんのおかあさん」と呼んだこと。(わかるでしょ、苗字。問診票に書いたるやんけ!)
私は、ぐずっている息子を抱きながら、そんな思いにかられました。その後、ようやく予防接種を終えて再び待合室へ。
看護師さん「〇〇くん(息子の名前)のおかあさーん、会計へどうぞ〜」
私「あ、はい」
看護師さん「今日はこれでおわりです。おかあさん、〇〇くんが、もしお熱とか出るようでしたらすぐにご連絡くださいね、おかあさん」(産んだ覚えのないこの人から3回も呼ばれたわ)
私「はい…」深いため息とともに、泣き疲れた息子と小児科をあとにしたのでした。
私は何者?
その時の私は、長男出産後3カ月の新米ママ。
専業主婦だったので社会とのつながりがなく、たまに外へ出れば自分のことを「おかあさん・ママ」と呼ばれ、苗字ですら呼ばれない。たとえ苗字で呼ばれたとしても、夫の姓のため自分にはまだまだ馴染みが薄い。
そんな時、ふとよみがえる独身時代。(夢に向かって海外で生き生きと働いていたなあ。自由で刺激的で、常に新しい人との出会いがあったのに…)
長男を授かり、良い母親になりたいし、ならなければという一心で、それまでのキャリアから一気に母親へと、ベクトルを転換したのでした。しかし、理想の母親像と日常とのギャップを常に感じていました。沐浴、夜泣き、初めての高熱… すべてが、わからないことだらけの子育て。周囲には普通の顔をしていても、内心は不安でいっぱいでした。
(こんなに一生懸命子育てしてるのに、誰も私をほめてくれない…)自分が一体何者なのか、『おかあさん』というカテゴリー以外の、どこにも属さない人になってしまったような、そんな気がしました。せめて、保育園や病院など氏名がわかる場合には、苗字または名前で呼んでもらいたいと、常に感じていました。
あれから10年が経ち
長男10歳、新米ママだった私も母親10年目になりました。
先日、息子の通う小学校の参観日がありました。廊下の向こうから歩いてくる親子。息子と仲の良い「たいがくん」と、名前は出てきたものの、たいがくんの苗字が思い出せない。すると相手から、
「あら、〇〇くん(息子)のおかあさん! お久しぶりです」と声をかけられ、
「たいがくんのおかあさん、お元気でしたか?」と、日常会話。
「おかあさん・ママ」あんなに気にしていたこの呼び名も、今となっては、言われることも、そして言うことにもすっかり慣れました。しかし、10年経ってもやっぱり変わらないこと。
それは、「おかあさん」である前に、私はひとりの人間であるということ。だからこそ、私のことを名前で呼んでくれる人に出会うと「この人わかってる〜」って、嬉しくなります。
(ファンファン福岡公式ライター/モモ☆タロー)