<9年間の禁酒生活終>妊娠・出産・母乳育児から解放された母の歓喜!

完全母乳育児を目指して、通い始めた助産院。個性派助産師に背中を押され、子どもが1歳を過ぎても、母乳育児をやめられなくなってしまいました。子どもが年長になり、勇気を出してやっと断乳宣言。9年ぶりの飲み会参加と飲酒に感無量… この日を待っていたのです!

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週末の儀式といえば

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 独身時代の週末といえば、仲の良いお友達と集まってみんなで「カンパーイ!」ですよね。お酒=自分へのご褒美、と思い込んでいる私の週末は、ショッピングの帰りにちょっと一杯。ランチでちょっと一杯… といった具合です。

 妊娠すれば始まる禁酒生活。「禁酒なんてできるんだろうか」妊娠前は、禁酒のイメージがまったく湧きませんでした。
 結婚後、ほどなく長男を妊娠しました。禁酒の不安もどこへやら、当初からつわりに悩まされ、その症状はまさに二日酔い。お酒のことなど、すずめの涙ほども考える余裕はなく、見事に禁酒を達成したのです。

目指せ完全母乳育児

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 母乳は、子どもの免疫にもメンタルにも良いと聞き、出産後は完全母乳育児を目指したのです。
 出産後に、母親学級で意気投合したママ友たちと集まる機会がありました。ママ友の一人が、とある助産院に通っており、なんでもそこで乳腺マッサージを受けると、母乳の量が増えるのだとか…。

 「そんな良い場所があるなんて、知らなかった!」ということで、早々にママ友と同じ助産院へ通うことを決めたのです。

 助産院では、乳腺マッサージを受けている間に、助産師さんに育児相談もできます。様々な悩みや疑問に答えてくれる助産師さんが神々しく見え、通院当初は、なんて素敵な施設なんだ! と感動すら覚えました。

 ところが、1年また1年と通っているうちに、次第に通院をつらく感じるようになったのです。

 一般的に、母乳育児といえば大体1歳前後で断乳です。私の場合、長男は5歳まで、次男は4歳まで母乳育児を続けました。なぜここまで母乳育児を続けたのか? その答えは通っていた助産院にありました。

個性派助産師

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 これは、通院後しばらくしてから知ったのですが、私の通っていた助産院の助産師は、地元でも有名な個性派助産師だったのです。
 何で有名なのかというと「母乳育児推し」です。その助産院に通っているママ達のなかには、「賢い子になる」「優しい子になる」「落ち着きのある子になる」などと励まされて、小学生になっても母乳育児を続けている人が何人かおりました。

 個性派助産師は、そんな母乳育児長期継続中のママ達の話を誇らしげに、私や他のママ達にいつも語って聞かせていたのです。そんなこともあり、「私も、もうちょっとがんばってみるか」と、ズルズル母乳を続けることになってしまいました。

 いつまでたっても助産院に通い続ける私に、ついに夫が
 「もう母乳やめたら?」と言ってきました。長男も次男もとっくの前から食事から栄養がとれており、聞けば
 「おっぱい、あってもなくても、どっちでもいいよ」との事。母乳の役割はすでに終わっていたのです。

 「断乳したい」の一言が、個性派助産師になかなか言えず、妊娠期間と合わせて9年も、禁酒生活を強いられてきました。毎年ビアガーデンの時期になると、夢に出てくる「ビールジョッキでゴクっと一杯飲んでいる自分…」次回は勇気を出して言ってみよう、ようやく決心しました。

断乳したいです!

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 通院した際、助産師に恐る恐る
 「そろそろ断乳しようと思って…」と伝えてみました。すると予想に反し、意外とあっさりと受け入れられて、断乳の準備が始まりました。子どもたちにも
 「もう、おっぱい終わりだからね」と言うと、
 「うん。わかった!」と、こちらもあっさり。

 「明日から断乳! 禁酒解禁!」ニヤニヤが止まりません。

 そんなわけで、先日9年ぶりに会社の宴会に参加しました。
 9年ぶりの日本酒! 9年ぶりの焼酎!
 「あぁ、お酒ってこんなに美味しかったんだ!」と感無量。お酒を飲めることに感謝しつつ、独身時代は味わうこともせず、粗末に飲んでいた自分を反省したのです。

 それ以来、飲酒の機会があると、少量のお酒を大事に味わって飲むようになりました。私も、この9年間でずいぶんと大人になったようです。

(ファンファン福岡公式ライター/ダイワ エノ)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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